2024年8月24日

【にんぱく忍者修行ブログ】忍者豆知識その31

この記事は忍者豆知識その31です。今日は真田氏と関係のある武田氏と、お城の要素についてお届けします。
・真田氏の関係のある武田氏の戦い、川中島の戦いその2
川中島の戦い(かわなかじまのたたかい)は、武田信玄と上杉謙信とで現在の長野県北部で5度の領地争いしました。
これは決着がつかずに終わった争いでした。
川中島の戦いは、戦国時代における日本の戦国大名、上杉謙信と武田信玄の間で行われた一連の戦いを指します。この戦いは1553年から1564年にかけて、北信濃(現在の長野県)に位置する川中島周辺で5回にわたり繰り広げられました。戦国時代における最も有名な合戦の一つとして知られています。
川中島の戦いは、戦国時代における名将同士の対決として、後世に多くの物語や絵画の題材となりました。特に第四次川中島の戦いは、上杉謙信と武田信玄の一騎討ちとして描かれることが多く、ドラマチックな場面として広く知られています。

・山城(やましろ)について
山城(やましろ)は、日本の伝統的な城郭の一つで、山の地形を利用して築かれた城のことを指します。山城は戦国時代を中心に多く築かれ、日本各地に存在しました。敵の攻撃を防ぐために自然の地形を活用し、堅固な防御力を誇るのが特徴です。

山城の特徴として、地形を利用した防御があります。
山の斜面や尾根などの地形をそのまま防御施設として利用します。急な斜面や谷を利用することで、敵が容易に攻め込むことができないように作られています。
城内にいくつかの郭(くるわ)が設けられ、これが階段状に配置されることが多いです。最も高い場所に本丸があり、その周りに二の丸、三の丸といった副郭が続きます。
土塁や堀切があり、山城では土塁や堀切がしばしば使われ、敵の侵入を防ぎます。堀切は尾根を切断して作られた人工的な溝で、これによって敵の進行を阻止します。
・物資の確保が難しい
山の中に位置するため、食料や水の確保が平地の城に比べて困難であることが多いです。そのため、短期間の籠城戦を想定した造りになっていることが多いです。
戦国時代に多く、山城は戦国時代に多く築かれました。防御力を高めるために山の上に築かれた城は、外敵からの侵略を防ぐための重要な拠点となりました。
有名な山城としては、
岐阜城(岐阜県)は、織田信長が居城とした城で、金華山の山頂に築かれています。
備中松山城(岡山県)は日本三大山城の一つで、現在も現存天守が残る貴重な山城です。
高取城(奈良県)は日本三大山城の一つで、標高が高く、眺望が素晴らしいことで知られています。
山城は、地形を最大限に活かした防御的な構造が特徴で、戦国時代における城郭の中でも特に興味深い存在です。

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2024年8月19日

【にんぱく忍者修行ブログ】忍者豆知識その30

この記事は忍者豆知識その30です。今日は真田氏と関係のある武田氏と、お城の要素についてお届けします。

・木曾福島城(きそふくしまじょう)について
戦国時代に、木曾氏が建てたとされるお城です。
武田氏の信濃侵攻に備えて木曾氏が築いたお城と言われています。
1598年(慶長3年)にお城は廃城となりました。
遺構には土類、堀などが残されています。

・御殿についてその2
京都にある二条城の二の丸御殿は、徳川家康が京都において将軍職を行うために建設したもので、豪華な内部装飾と広大な庭園が特徴です。襖絵には狩野派の絵師による作品が多く見られ、江戸時代の文化の高さを物語っています。
徳川家康が晩年を過ごした駿府城にも御殿が設けられていました。駿府城の御殿は、政治的な中心地としてだけでなく、家康の隠居後の生活の場でもありました。

・御殿の役割と生活
御殿は、その役割から家臣とのやりとりを行う「表」と、家族との暮らしを意味する「奥」とで分かれていました。
政治的役割として、御殿は、江戸時代の政治の中心として機能しました。特に将軍や大名が政務を行う場として、各地の大名や武士たちが参集し、重要な決定が行われました。
文化的役割として、御殿はまた、文化的な活動の場でもありました。茶の湯、能楽、書道、絵画など、武士たちが嗜んだ文化が発展した場所でもあります。御殿内の茶室や庭園は、茶道や園芸などの文化活動に使用されました。
・御殿の象徴性
江戸時代の御殿は、単に住居や政務の場であるだけでなく、その家の権威や威信を示す象徴的な建物でもありました。豪華な装飾や広大な敷地は、その家の富と力を示すものであり、また来客を迎える際の重要な場所でもありました。

・御殿の保存と復元
多くの御殿は明治維新後の変革で取り壊されたり、火災で失われたりしましたが、現在でも二条城の二の丸御殿など、一部の御殿は文化遺産として保存されています。これらの御殿は、日本の伝統建築や歴史的な文化を伝える重要な施設として、多くの観光客に親しまれています。

江戸時代の御殿は、日本の歴史と文化の一端を垣間見ることができる貴重な遺産です。

「御殿」(ごてん)という言葉は、主に日本における貴族や武士、または皇族などの高貴な人々が住む邸宅や建物を指します。歴史的には、特に戦国時代から江戸時代にかけて、多くの大名や将軍が広大で豪華な御殿を建てました。

御殿は、単に居住空間であるだけでなく、政治的な活動や儀式が行われる場所でもありました。典型的な御殿は、庭園や池、茶室などを備えた複合的な建築様式を持ち、そのデザインや装飾にはその家の富や権力を示す意味も込められていました。

たとえば、江戸城内にあった「二の丸御殿」や、京都御所の「紫宸殿(ししんでん)」は、いずれも重要な御殿の例として挙げられます。

また、御殿という言葉は現代においても、高級住宅や豪邸を指して使われることがあります。この場合、豪華さや格式の高さを強調するための表現として用いられます。

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2024年8月18日

【にんぱく忍者修行ブログ】忍者豆知識その29

この記事は忍者豆知識その29です。今日は真田氏と関係のある武田氏の攻めたお城と、お城の要素についてお届けします。


・野田城(のだじょう)
野田城は、現在の愛知県新城市豊島にあったお城です。
武田氏と徳川氏との戦いにおいて決戦場になった場所です。
武田氏(信玄)は戦いに勝利しましたが、この戦いで病気が悪化し、なくなりました。
現在その場所には土塁と空堀が残されています。

・城門についてその2、有名な城門の例
大手門(おおてもん)は通常、城の正門にあたる門で、城の正面玄関として機能しました。敵が城に侵入する際、最初に立ちはだかるのがこの大手門です。たとえば、江戸城の大手門は特に有名です。
たとえば、大坂城の三の丸大手門(さんのまるおおてもん)は、櫓門と枡形門が組み合わさった非常に強固な構造で、徳川家康が豊臣家を滅ぼした際に重要な役割を果たしました。


・戦国時代と江戸時代の違い
戦国時代は戦が頻繁に行われていたため、城門は非常に実戦的な防御機能が強調されていました。門の構造は敵を罠にかけ、時間を稼ぐような工夫が施されていました。
江戸時代になると平和な時代が続いたため、城門の防御機能よりも、その象徴的な価値や権威を示すためのデザインが重視されるようになりました。門の装飾や形式が洗練される一方で、防御機能が必ずしも最優先ではなくなりました。
これらの城門は、城郭建築の技術の高さと防衛のための知恵が凝縮されたものであり、日本の歴史的な建築遺産の一部として今でも多くの城でその姿を見ることができます。

・御殿についてその1

江戸時代の「御殿」は、主に大名や将軍、皇族などの高貴な人々が住む邸宅や政務を行うための施設を指します。御殿は、その居住者の身分や地位を象徴する豪華な建物であり、政治的、文化的な中心地としての役割も果たしていました。

・江戸時代の御殿の特徴
江戸時代の御殿は、和風建築を基調としながらも、非常に豪華な装飾が施されていました。畳敷きの大広間や、障子、襖(ふすま)に描かれた絵画、精緻な彫刻などが特徴的です。また、庭園や茶室などが併設され、自然との調和が重視されました。
御殿は複数の建物が連なった構造で、主殿、書院、茶室、離れなどの建物が配置されていました。また、外部からの侵入を防ぐための塀や門、そして池や石垣などが設けられ、厳重な防御が施されていました。
・ 江戸時代の代表的な御殿
江戸城の御殿として、江戸城内には、「本丸御殿」、「二の丸御殿」、「西の丸御殿」など複数の御殿が存在していました。これらの御殿は将軍の住居であり、政務を行う場でもありました。特に本丸御殿は、将軍の公式な居住空間であり、政治的な儀式が行われる重要な場所でした。

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2024年8月11日

【にんぱく忍者修行ブログ】忍者豆知識その28

この記事は忍者豆知識その28です。今日は真田氏と関係のある武田氏が攻めたお城と、お城の要素についてお届けします。

・高遠城(たかとうじょう)
高遠城は、現在の長野県伊那市高遠町にあったお城です。
高遠氏の居城でしたが、武田氏に攻められて開城します。
武田信玄の家臣であった山本勘助が縄張りにした堅城でした。
跡地には高遠城址公園があり、桜の名所として有名です。

・天守についてその2、天守の歴史
戦国時代(1467年-1615年)、天守は戦国大名によって建てられ、城の防御機能と共にその権力を誇示する目的がありました。
織田信長が築いた安土城の天守が代表例で、天守の普及に大きな影響を与えました。
江戸時代(1603年-1868年)、江戸幕府の統治下で全国的に平和な時代が続き、天守は実戦用よりも権威の象徴としての役割が強まりました。
各地の大名が競って立派な天守を築くようになり、現在でも多くの名城がその姿を留めています。
天守の役割として、敵の侵入を防ぎ、籠城戦に備えるための要塞としての機能を持ちます。
高い位置からの監視や攻撃が可能で、城全体の防御システムの中核を成します。
監視機能として、城下や周囲の地域を見渡すための見張り台としての機能も果たします。
敵の動きを早期に察知するために重要な役割を担います。
権威の象徴として、城主の権力と威信を示すために、豪華な装飾や大規模な構造が採用されることが多いです。
城下町や領民に対する威圧的なシンボルとしての役割を果たします。
天守は日本の歴史や文化を深く象徴する建築物であり、その美しさと機能性は現在でも多くの人々を魅了しています。

・城門についてその1、戦国時代と江戸時代の城門
戦国時代や江戸時代の城門は、日本の城郭の防衛構造の中で非常に重要な役割を果たしていました。城門は単なる出入り口ではなく、敵の侵入を防ぐための防御機能が施された複雑な構造を持つことが多かったです。
城門の役割として、城門は敵の侵入を防ぐために頑丈に作られておりました。これにより、敵が一度に多数で門を突破することが難しくなっていました。
城門はまた、城への出入りを監視し、管理する場所でもありました。城内に入る者は門で確認を受ける必要がありました。

・代表的な城門の種類
枡形門(ますがたもん)は二重の門で構成され、門と門の間に枡形と呼ばれる四角形の空間が設けられていました。敵が最初の門を突破した場合、この枡形で囲まれ、四方から攻撃を受ける構造になっていました。
薬医門(やくいもん)は左右に柱が立ち、その上に屋根がかかる形式の門です。屋根が大きく突出しており、荘厳な印象を与えます。この門は主に城郭の内側や大名屋敷の玄関として使用されることが多かったです。
櫓門(やぐらもん)は門の上に櫓(やぐら)が設置されたもので、城内外の監視や防衛のために用いられました。この門は攻撃に対する防御力を高めるために作られており、城の重要な部分に設けられることが多かったです。

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2024年8月10日

【にんぱく忍者修行ブログ】忍者豆知識その27

この記事は忍者豆知識その27です。今日は真田氏と関係のある武田氏と、お城の要素についてお届けします。
・岩村城
岩村城は、現在の岐阜県恵那市岩村町にあったお城です。
戦国時代に、織田氏と武田氏がともに戦いあったお城です。
お城を築いたのは遠山氏で、戦国時代になり織田徳川武田の争いが激しくなり、このお城もその対象となりました。
日本100名城として指定されています。

・お城の要素、櫓(やぐら)について
櫓(やぐら)は、日本の城や戦場で使われる高い構造物で、見張りや防御のために用いられます。櫓は敵の動きを監視するための見張り台としてだけでなく、弓矢や銃火器を使って攻撃するための場所としても使用されました。以下に櫓の主要な種類とその特徴をいくつか紹介します。
望楼型(ぼうろうがた)は、高く、四方を見渡せる構造です。主に見張りや監視のために使用されます。
多聞櫓(たもんやぐら)は、長い廊下のような構造で、城の周囲を取り囲む形で配置されることが多いです。武器や兵士の収容に使われることもあリます。
角櫓(かどやぐら)は、城の隅や角に設置される櫓です。敵の進入を防ぐために重要な位置に配置されます。
井戸櫓(いどやぐら)は、井戸の上に建てられた櫓です。井戸を守るための構造で、攻撃を受けても井戸を安全に保つ役割を果たします。
櫓は高い位置にあるため、周囲の動きを監視しやすく、敵の接近をいち早く察知することができます。
櫓からは弓矢や鉄砲を使用して攻撃することができ、敵の進行を阻止する効果があります。
煙や光を使って信号を送ることで、遠くの味方に情報を伝える役割も果たします。
櫓は戦国時代に発展し、城郭の重要な防御施設として使用されました。江戸時代に入ると、戦争の機会が減少し、櫓はより装飾的な意味合いを持つようになりましたが、それでもなお城の防御機能の一部として存在し続けました。
櫓の設計や構造は城によって異なり、地方ごとに独自の工夫が凝らされています。現在でも多くの城跡や復元された城で櫓を見学することができます。

・天守について(その1)
天守(てんしゅ)は、日本の城郭における最も高い建物で、城の象徴とも言える存在です。天守は、防御・監視・権威の象徴としての役割を果たし、戦国時代から江戸時代にかけて多くの城に建てられました。以下に天守の特徴、歴史、役割について詳しく説明します。
天守は複数の層からなる階建て構造で、最上層からは城下や周囲の地域を一望できるように設計されています。
木造建築が基本であり、瓦や白壁が用いられることが多いです。
独立式天守は、 天守だけが独立して建てられているものです。
複合式天守は、複数の櫓や天守が連結しているものです。
連結式天守は、天守と他の建物が渡り廊下や橋で連結されているものです。
天守には金箔を使った装飾や瓦の飾りが施されることがあり、城主の権威を象徴する要素となっています。

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2024年8月3日

【にんぱく忍者修行ブログ】忍者豆知識その26

この記事は忍者豆知識その26です。今日は真田氏と関係のある武田氏のお城と、お城の要素についてお届けします。
・田中城
田中城は現在の静岡県藤枝市田中にあったお城です。
天文6年(1537年)に駿河今川氏によって築かれ、
武田氏が徳川に対抗するための拠点として重要視し、武田信玄によって攻め落とされました。
信玄の死後、徳川軍によって攻められますが武田氏の配下である依田信蕃が抵抗し、武田勝頼の死後まで守り抜かれたとされます。

・お城の要素、石垣(いしがき)について
石垣は、石を積み上げて作る防御壁や構造物の技術で、日本の城や庭園、神社仏閣などで広く使われてきました。石垣は、耐久性と美観を兼ね備え、敵の侵入を防ぐための重要な防御設備として発展しました。以下は石垣作りの主な特徴、種類、そして技術についてです。
石を使用することで、土塁に比べて高い耐久性を持ちます。
丁寧に積み上げられた石垣は、美しい景観を作り出します。
石垣は敵の侵入を防ぎ、城の防御力を高めます。
野面積み(のづらづみ)は、自然の石をそのまま積み上げる方法で、石の形状を活かし、隙間を少なくするために細かい石を詰めます。
打込み接ぎ(うちこみはぎ)は、自然石を加工して隙間なく積み上げる方法です。石の表面が少し凸凹しています。
切込み接ぎ(きりこみはぎ)は、石をきちんと切り揃えて積み上げる方法で、石と石の間に隙間がほとんどなく、非常に精巧な積み方です。
布積み(ぬのづみ)は、石を横に長く積み重ねる方法で、石の横方向の継ぎ目が一直線になるようにします。
地面を掘り下げ、石垣の基礎を作ります。基礎がしっかりしていないと石垣が崩れる原因になります。
使用する石を選び、形や大きさを考慮して積み上げます。石の種類や産地も重要です。
石を積む際には、石の重心を考慮しながら積み重ねます。安定性を保つために、石と石の間に小石や砂利を詰めることもあります。
石垣の表面を整え、美しく仕上げます。特に、城の入り口や重要な場所の石垣は丁寧に仕上げられます。
石垣には花崗岩が用いられていました。花崗岩は非常に硬いので、加工には高度な技術が必要です。石を適切な大きさと形に切り出すために、専門の職人が手作業で行います。
花崗岩を積み上げる際には、石の重心を考慮し、隙間を最小限にする技術が求められます。特に打込み接ぎや切込み接ぎの技法では、石と石がしっかりと組み合わさるように積み上げられます。
大規模な石垣では、花崗岩の間に小石や砂を詰めて補強し、安定性を高めることがあります。
石垣作りは日本の伝統的な技術であり、その技術は現在でも保存・継承されています。多くの城跡や歴史的建造物で石垣を見ることができ、その美しさと技術に感嘆することができます。

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2024年7月30日

忍術〜兵糧丸編〜|にんぱくブログ|体験

NINJA

忍者の携帯食である兵糧丸(ひょろうがん)には、カロリー補給の他にもうひとつ重要な役目があります。それは漢方薬の薬理作用による気力回復です。
ひとくちに兵糧丸といっても、いくつか作り方が伝わっています。
ここでは名軍師・山本勘助『老談集(ろうだんしゅう)』のレシピを参考に見てみましょう。

主な材料は蓮肉(蓮の実の乾物)、桂心(シナモン)、人参(朝鮮人参)などの生薬、そして大量の氷砂糖と書かれています。

これら生薬には「滋養強壮」「疲労回復」「下痢止め」に加えて、「緊張緩和」「鎮静」といった精神面に効く成分が含まれています。氷砂糖には、大量に使用することによる防腐効果が期待でき、体に入れば脳を働かせる栄養となります。現在では、脳は糖をほぼ唯一のエネルギー源とするユニークな臓器として知られていますが、忍者は経験的にそれを知っていたのかもしれない。

そのほか、干し鮑や干し鮭などタンパク質を材料に使ったものや、そば粉やもち米粉などを使って腹持ちを良くした「飢渇丸」、梅干しを使って軽い喉の渇きを抑える「水渇丸」が伝わっています。おそらく忍者は、任務にかかる時間の長短や仕事の激しさを加味して、必要になる栄養配分を考え、その時々に合った携帯食を作ったのでしょう。

兵糧丸は、お腹を一杯ににするというよりは、任務中に使ったカロリーを補い、気力を充実させるための携帯食。登山家が山を登りながら栄養補給しているのが、現代の社会では近い状態です。

兵糧丸(ひょうろうがん)

兵糧丸と言っても、現代には様々な兵糧丸が伝わっています。ここでは、『老談集』をもとに久松眞氏が薬4分の1スケールで試作した分量のレシピをご紹介いたします。

材料・分量・薬効
・もち米 0.5g
 炭水化物の補給、体を動かすエネルギー源
・うるち米 0.5g
 炭水化物の補給、体を動かすエネルギー源
・蓮肉 9.5g
 蓮の実の乾物のことです。ビタミンB1が豊富、「滋養強壮」「疲労回復」「下痢止め」「緊張緩和」
・山薬 9.5g
 山芋(自然薯)のことです。粘性多糖やビタミンが豊富、「滋養強壮」「胃潰瘍」「食欲不振」
・桂心 9.5g
 シナモンの皮から取れる生薬のことです。「鎮静・鎮痛」「整腸効果」「血行促進」「発汗」「解熱」「風邪予防」
・ヨクイニン 9.5g
 はと麦の種子「抗炎症」「肌荒れ」「イボ取り」「利尿・むくみ」
・朝鮮人参 0.5g
 サポニンの薬理効果が高い、「滋養強壮」「疲労回復」「鎮痛」「整腸効果」
・氷砂糖 225g
 脳への直接的な栄養補給効果、体へのエネルギー供給

作り方
1 すべての材料を粉末にする。
2 氷砂糖以外の材料に適量の水を加え煎じる。
3 氷砂糖に適量の水を加え弱火で温めて溶かす。
4 2と3を合わせ、弱火で煮詰める。
5 丸めて乾燥して固める。

材料からわかるように、この兵糧丸は砂糖がメインです。実は江戸時代まで砂糖は超貴重な薬扱いでした。今の点滴に近いものでした。次に多い材料が漢方薬で処方される生薬です。それらの成分を分析すると6つの薬理作用「滋養強壮」「鎮痛」「救急医薬」「エネルギー補給」「疲労回復」「健康維持」があることが分かりました。体力と気力両方回復する携帯食と言えます。

水渇丸(すいかつがん)

軽い喉の渇きが気にならなくなると言われている水渇丸の作り方を、『万川集海』に基づいてご紹介いたします。

材料・分量・効能
・梅干の果肉 約37g
 クエン酸が含まれている、胃を整える
・氷砂糖 約7.5g
 この場合は、使用料が少ないので梅干の酸っぱさやしょっぱさを和らげる作用
・麦門冬 約3.77g
 ジャノヒゲの根が原料の生薬、咳止めや強壮の効果がある

作り方
1 梅干の果肉部分と種の部分を分ける
2 残りの材料を粉末にする
3 両者を混ぜて手でよくこねる
4 1cm程度に丸め、乾燥させる(天日干しにする)

梅干しの成分が唾液の分泌を促進し、麦門冬(ばくもんどう)の成分が喉の渇きや痛みを一時的に弱めます。「3粒食べれば、45日間水を飲まなくて大丈夫」という伝承がありますが、それはさすがに誇大広告でしょう。実際は、軽度の脱水症状からくる不快感を紛らわせて、その間に水場に戻るなどしたと考えられます。

ここまでは歴史的な兵糧丸について書いてきましたが、現代の兵糧丸と言えるような商品をコンビニで見つけたので、成分を比較したいと思います。

最後のひとつをそれぞれ並べて。危うく写真撮る前に完食しそうでした。

写真の通り、これからご紹介するのはその名も「忍者めし」
今回手に入れることができたのは、「忍者めし鋼 コーラ味」と「忍者めし鋼 グレープ味」「忍者めし ラムネ」の三種類です。

さっそく、忍者めしコーラから成分表を見ていきたいと思います。

原材料名
・果糖ぶどう糖液糖(国内製造)
・砂糖
・ゼラチン
・米粉
・ポリデキストロース
・濃縮果汁(デーツ、レモン)
・殺菌乳酸菌飲料
・水飴
・こんにゃく粉
・澱粉/酸味料
・香料
・着色料(カラメル)
・光沢剤
・(一部に乳成分・ゼラチンを含む)

作り方
わかりません

栄養成分表示
50gあたり
・エネルギー 159kcal
・タンパク質 5.9g
・脂質 0g
・炭水化物 36.9g
・食塩相当量 0.03g

原材料は多い順に並んでいます。
まずいちばん頭にある「果糖ぶどう糖液糖(国内製造)」とは?日本でつくられた果糖ぶどう糖液糖ということはわかりますが、えっと、ひとつの名前の中に三つも糖が入ってるのですが、いったいどういうことなのでしょうか?めっちゃ甘い?調べてみました。

「ぶどう糖」と「果糖」を主成分とする液状糖を「異性化糖」といいます。異性化糖は、以下の3つに分類されます。

 ・ぶどう糖果糖液糖…果糖含有率が50%未満のもの

 ・果糖ぶどう糖液糖…果糖含有率が50%以上90%未満のもの

 ・高果糖液糖…果糖含有率が90%以上のもの

https://pantry-lucky.net/contents/blog/katoubudoutou

ということらしいです。へー。ほとんど砂糖と同じような感じで使われるらしい。とうもろこしやさつまいもの澱粉を分解してつくられるそうです。

次にわからないのが、ポリデキストロース。ポ、ポり?調べてみました。

☆ポリデキストロースは、グルコース(ブドウ糖)、ソルビトール、クエン酸を原料とした安全な食物繊維です。
https://www.otsuka.co.jp/health-and-illness/fiber/about/type/polydextrose/

ポリデキストロースは、グルコース(ブドウ糖)、ソルビトール、クエン酸を原料とした安全な食物繊維です。

https://www.otsuka.co.jp/health-and-illness/fiber/about/type/polydextrose/

つまり合成食物繊維ってやつでしょうか。人工食物繊維? 人造食物繊維?

次に濃縮果汁のデーツ。これは私は乾燥フルーツマニアなので知っておりましたが、まだ日本ではメジャーではないかもしれません。デーツは中東なんかが主な産地の美味しいフルーツです。乾燥デーツは輸入物の読めない字のパッケージのやつがおすすめです。

そして殺菌乳酸菌飲料。乳酸菌飲料を、殺菌しちゃった!?それって・・・まあ、とりあえずこれが何なのか調べましょう。

また、死んだ菌が腸内の免疫細胞を刺激して、低下している防御力を増強させる『免疫賦活』という効果があります。「インフルエンザの感染予防に効果的」とテレビなどで紹介されたR-1乳酸菌などは、つくりだす多糖体が免疫賦活効果を発揮するため、生き死にはそれほど関係ないそうです。

https://withnews.jp/article/f0160326003qq000000000000000W00o10101qq000013137A

ということでした。
あと気になるのは光沢剤・・・

☆シェラック(白シェラック、精製シェラック)
ラックカイガラムシの分泌する樹脂状物質を精製して得られたもので、成分は樹脂酸エステルです。アルカリ性水溶液やエタノールで抽出、漂白又は精製したものが、白シェラックや精製シェラックです。エタノール溶液として菓子、糖衣食品、果実等の表面に塗布、乾燥させると、表面に光沢性、防湿性のある皮膜を形成します。光沢剤の他に、チューインガムベースとしても使用されます。

使用対象食品:キャンディー、チョコレート、果実など

☆パラフィンワックス
原油を減圧蒸留して得られる潤滑油分画を処理して得られたもので、炭素数20~40の炭化水素の混合物です。加熱すると粘性の低い液体になり、菓子、糖衣食品、果実等のコーティングに用いられます。

使用対象食品:キャンディー、チョコレート、果実など

☆ミツロウ
ミツバチの巣より加熱圧縮後、ろ過したものより得られたもので、主成分はパルミチン酸ミリシルです。粘稠性、伸展性が強く、熱エタノールや油脂に溶かし、菓子、糖衣食品、果実等のコーティングに用いると艶のある被膜を形成します。

https://www.hokeniryo.metro.tokyo.lg.jp/shokuhin/shokuten/kotakuzai.html

↑から信じたいものをお選びください。

思ったよりも長くなってしまったので、「忍者めし」のご紹介は「忍者めし鋼 コーラ味」までとしたいと思います。

「忍者めし鋼 コーラ味」が現代の兵糧丸または水渇丸と言えるかどうか、検証していきたいと思います。

まず、兵糧丸において一番大切なのは糖分の摂取です。これは「忍者めし鋼 コーラ味」もクリアしていると言えるでしょう。
気力の回復はどうでしょうか?「忍者めし鋼 コーラ味」はその風味や噛みごたえの点から、食べると美味しくてなんか良いもの食べた気分になります。何より美味しい。これは気力の回復にも期待できそうです。

結論

「忍者めし鋼 コーラ味」は、生薬の成分こそないものの、デスクワーク程度の仕事においては十分に兵糧丸としての役割を果たしていると言えるでしょう。水渇丸にはまったくなりません。むしろ水かお茶が飲みたくなります。

終わりに

このブログを運営しているにんぱくには、忍者が実際に使っていた忍具が展示されています。群馬県の北西にある東吾妻町に、にんぱくはあります。吾妻地域は真田氏が支配していたころ、忍びの者として真田家に仕えていた忍者がいました。岩櫃城と言えば歴史好きの方はピンと来るかもしれません。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。これからもにんぱくをよろしくお願いいたします!

2024年7月29日

【にんぱく忍者修行ブログ】忍者豆知識その25

この記事は忍者豆知識その25です。今日は真田氏と関係のある武田氏と、お城の要素についてお届けします。


・躑躅ヶ崎館(つつじがさきやかた)
躑躅ヶ崎館は、現在の山梨県甲府市古府中にあった居館です。
武田氏はこの躑躅ヶ崎館を拠点して各地を攻めていました。
長篠の戦いや甲州征伐ののち、武田氏が滅んだ後は織田・徳川が占領し、活動拠点としていました。
遺構には、西曲輪虎口や土塁、空堀、馬出しなどがあリます。
跡地には神社があり、国の史跡として指定されています。

・堀(ほり)について
堀(ほり)は、日本の伝統的な城の防御設備の一つで、城を守るために周囲に掘られた水路や空堀のことを指します。堀は、敵の侵入を防ぎ、城を防御するために重要な役割を果たしました。以下は堀の主な種類とその特徴です。
水堀は、水を張った堀で、船や泳いでの侵入を防ぎます。
空堀は、水を張らない堀で、深い溝を掘ることで敵の侵入を阻止します。
二重堀は、二重に掘られた堀で、お城の内側と外側を隔てます。
内堀は、城の中心部分を囲む堀です。
外堀は、城の外郭部分を囲む堀です。
堀の役割として、敵の侵入を遅らせ、攻撃を困難にします。
城内の水源として利用されることもあリます。
城の景観を美しくする役割も果たしました。
堀は、単なる防御設備だけでなく、城の美観や機能性も兼ね備えた重要な要素でした。現在でも、歴史的な城跡や復元された城で堀を見ることができ、その役割や歴史を学ぶことができます。

・土塁(どるい)について
土塁(どるい)は、土を積み上げて作られた防御設備の一つで、城や砦、遺跡などの防御機能を強化するために使用されました。土塁は敵の侵入を防ぎ、守備側の防御力を高める役割を果たします。以下は土塁についての主な特徴と役割です。
土塁は土を盛り上げて作られ、時には石や木材で補強されることもあります。
高さや幅は防御の必要性に応じて様々で、通常は高くて幅の広い土塁が作られました。
土塁の外側は急な斜面になっており、登りにくくするための工夫が施されています。
材料は、主に土を使用しますが、石や木材を組み合わせて強度を増すこともあります。
役割として、敵の侵入を阻止し、攻撃を遅らせる効果があります。
守備側の兵士が土塁の上から攻撃を行うことで、戦闘を有利に進めることができます。
視界確保として、高台に作られることが多く、守備側の視界を確保し、敵の動きを監視するのに役立ちます。
場合によっては、土塁の内部に石や木材を組み込むことで、さらなる強度と耐久性を持たせることができます。
日本の城では、石垣とともに土塁が多く使用され、城の防御力を高めました。
古墳時代の遺跡にも土塁が見られ、墓の周りを囲む防御壁として使われました。
現在でも、多くの歴史的な城跡や遺跡で土塁が保存されており、その重要性と歴史的価値が認識されています。土塁は防御設備としてだけでなく、当時の技術や戦術を理解するための重要な史料となっています。

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2024年7月28日

【にんぱく忍者修行ブログ】忍者豆知識その24

この記事は忍者豆知識その24です。今日は真田氏と関係のある武田氏についてとお城の要素についてお届けします。


・要害山城(ようがいさんじょう)について
山梨県甲府市古府中にあったお城です。
武田信玄が生まれた城とも言われており、
躑躅ヶ崎館(つつじがさきやかた)の守備を固めるための避難所として信玄の父信虎によって築かれたと言われています。
発掘調査によると、居館は将軍邸である花の御所(室町)と同様の方形居館でした。
甲斐武田氏の城郭の特徴の西曲輪虎口や馬出しがありました。

・方形居館について
方形居館(ほうけいきょかん)は、中世の日本における特定の城郭や館の一形式を指します。堀と土塁で囲まれた四角い館の事をいい、この形式の建物は、四角形の形状を基本として構築され、その周囲を濠(ほり)や塀で囲むことが特徴です。以下に、方形居館についての詳細を示します。
形状として、四角形を基調とした平面図を持ち、隅に櫓(やぐら)を設置することが一般的です。
防御構造として、周囲には濠や塀が設けられ、敵の侵入を防ぐ役割を果たし、櫓や門により防御力を強化します。
立地は、河川沿いや交通の要所に建設され、地形を活かして防御力を高める工夫が見られます。
方形居館は、平安時代後期から鎌倉時代にかけて普及しました。武士階級が台頭する中で、防御の重要性が増し、こうした堅固な建物が求められるようになりました。また、地方の豪族や領主たちが自らの権力を示すために建設した例も見られます。
現在では、多くの方形居館は遺跡として保存・復元されており、歴史学や考古学の重要な研究対象となっています。また、観光地としても訪れる人々にその歴史的価値を伝えています。
方形居館は、日本の中世における建築と防御の知恵が詰まった構造物であり、その研究は日本の歴史理解において重要な役割を果たしています。

・馬出しについて
馬出し(うまだし)は、日本の中世から江戸時代にかけての城郭における防御施設の一つです。馬出しの主要な目的は、城門や要所を強化し、敵の侵入を阻止することです。以下に、馬出しの詳細を示します。
構造として、城の門の外側に設置される小さな砦や囲いで、四角形や半円形の形状が一般的で、周囲には堀や塀が設けられ、内部には兵士や馬を待機させるスペースがあります。
機能として、敵の侵入を遅らせるための領域として機能し、城門への直接攻撃を防ぐための前線基地として利用されます。敵が馬出しに侵入した際、城内からの反撃が容易になるように設計されています。

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2024年7月26日

【にんぱく忍者修行ブログ】忍者豆知識その23

この記事は忍者豆知識その23です。今回は真田氏と関係のある武田氏が治めていたお城やお城にまつわることについてお届けします。


・大島城(伊那大島城)について
大島城は、長野県下伊那郡松川町元大島にあったお城です。
平安時代末期に築城したとされます。
武田氏が支配していたお城で、天正10年(1582年)に織田軍に攻め落とされます。
枡形の虎口(ますがたのこぐち)などの武田氏のお城に見られる遺構が残っています。

・お城の要素、枡形の虎口(ますがたのこぐち)について
枡形の虎口(ますがたのこぐち)は、日本の城郭や砦の防御構造の一つです。これは特に敵の侵入を防ぎ、防御側が有利な位置から攻撃できるように設計された入口部分です。以下にその特徴と機能について説明します。
形状として、枡形の虎口は、「枡(ます)」という箱形の構造を持ち、正方形または長方形の広場状のスペースが入口部分に設けられています。この形状により、侵入する敵が一度そこで足を止めることを強制されます。
門の配置として、一般的に二重の門が設置されており、外門と内門が直線上ではなく、角度をつけて配置されることが多いです。これにより、敵が外門を突破した後でも直線的に内門へ進むことができず、内部での防御戦が有利になります。
枡形の内部には、矢狭間(やざま)や鉄砲狭間(てっぽうざま)といった攻撃用の開口部が設けられ、上方からの攻撃が可能な位置に櫓(やぐら)や高台が設置されることがあります。


敵の足止めとして、枡形の構造により、侵入する敵がそこで一旦止まるため、防御側にとっては敵を集中して攻撃する機会を得られます。これにより、少ない兵力で効率的に防御することができます。
枡形の内部からは、複数方向からの攻撃が可能です。高い位置からの矢や鉄砲、石の投擲などで敵を効果的に撃退できます。
敵にとっては、枡形の虎口を突破することが難しいと感じさせることで、心理的なプレッシャーを与え、防御側の士気を高める効果があります。
歴史的背景として、枡形の虎口は、特に戦国時代(16世紀)から江戸時代(17世紀以降)にかけて、日本の城郭に多く見られる構造です。戦国時代の度重なる戦闘や攻城戦の経験から、防御構造が進化し、枡形の虎口が多くの城で採用されるようになりました。
このように、枡形の虎口は日本の城郭の防御技術の一つとして、重要な役割を果たしました。敵の侵入を効果的に防ぎ、防御側に有利な戦いを展開できるように設計された巧妙な構造です。

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