手裏剣、鎖鎌、鎖分銅、カラクリ隠し武器など、忍者の道具・武器300点以上を展示し、常設展示では日本最大級。日本を代表する忍者道具の収集家、故・山岸賢司氏が全国から50年をかけて集めた山岸コレクションで、ご当地・吾妻から見つかった真田忍者の道具も多数展示している。「多くの人に忍者の道具を見てもらい。忍者文化を感じてもらいたい」という個人の遺志を受け継ぎ、実際に手で直接触れるものも多い。
展示スペースは狭いながらも、石造りの雰囲気ある倉庫で、さながら「武器庫」。展示もさることながら演出も見どころ。いわば「IT忍者カラクリ屋敷」だ。プロジェクションマッピング、キネティックライトシステム、フロアインタラクティブなど、最新映像照明コンテンツが、燻銀の展示物に新たな息吹を与える。
「にんぱく」と双子のように隣接する倉庫は忍者エンターテイメント「にんため」。VRチャンバラアトラクション「VS真田幸村」、CGを使った幼児向け手裏剣ゲーム、往年の忍者ゲーム、忍者や甲冑コスプレ体験など、子供の忍者修行道場として異彩を放つ。
文化財・骨董品に造詣の深い文化人から、忍者・戦国真田を愛する歴女、鮮やかな映像演出とゲームに心躍らせるお子様まで。にんぱくに来れば、一気に400年の時空を飛び越え。忍者がすぐそこに。真面目に楽しく手ごろに忍者。心を込めた手作り忍者ミュージアム。それが「にんぱく」じゃ。
真田忍者とは
ABOUT SANADA NINJA
真田忍者が活躍したのは戦国時代中頃だが、それ以前からもともと修験道の盛んだった岩櫃周辺は修行僧の中から忍者のような役割を果たしていた者がいたと推測される。真田家主君 戦国の名門・武田氏は忍者を重用しており、諜報活動に長けた透破と呼ばれる忍者の養成に力を入れていた。その数は1,000人を超えていたとされる。そんな透破の頭領が出浦盛清。卓越した技術で透破の活動や育成を行い、戦国の雄・武田信玄を影から支えた。
武田家滅亡後、真田氏は、出浦を家臣に迎え入れたことで、本格的に忍者集団を従えるようになった。もともと修験の盛んだった吾妻地域の修験者、能力の高い地侍の一部もこうした出浦の教育を受けて真田忍軍の主力となっていった。
吾妻地域の忍者として割田下総重勝、唐沢玄蕃、横谷幸重など錚々たる手練れがおり、吾妻の優れた忍者は代々「吾妻七騎」と呼ばれ、吾妻はもとより関ヶ原の合戦や小田原征伐、大坂の陣でも活躍した。吾妻忍者が後世に人気を博す「真田十勇士」のモデルになったとも言われている。
にんぱくのミッション
本物の忍者文化の普及
新しい社会に即した文化・観光・教育への多面的地域貢献
次世代へ向けて全国的なICT能力実践拠点への挑戦
にんぱく宣言
ここに集う多種多様な人材により「本物の忍者文化」の普及拡大を行い地域振興に寄与する。新しい社会に即した文化・観光・教育への地域貢献を目指し唯一無二の忍者体験コンテンツを開発・提供するとともに、次世代の科学忍法を追求し、全国に誇るICT人材開発先進地に、そしてICT能力実践拠点となるべく挑戦する。