散策コース
SIGHTSEEING PLAN

岩櫃城コース

HIKING TRAIL

1、岩櫃城跡

岩櫃城跡は、2019年(令和元年)に国指定史跡登録された中世の山城。NHK大河ドラマ「真田丸」で一躍有名に。日本城郭協会「続日本百名城」にも指定されている。戦国時代に武田信玄の上州侵攻の命を受けた真田氏がそれまでの城主・斎藤氏から奪い、武田氏の上州の拠点となり「武田の三堅城」と言われた。武田氏滅亡後、上田城ができるまでは真田氏の本城として真田昌幸・信幸・幸村の親子が暮らした城と言われる。北東に伸びる尾根に位置していて、西は岩櫃山、南は吾妻川へ下る急斜面、北は岩山で天然の要塞。所々に深く長い堀や曲輪などの遺構が残っている。運がいいとニホンカモシカなどにも会える。山城本丸跡へは平沢登山口から徒歩20分ほど。

2、観音山(瀧峩山)

吾妻地域の修験道の総本山。1747年(延享4年)に百番の観音石像が祀られてから観音山と呼ばれるようになったと言われている。かつては岩櫃城の支城の一つ、柳沢城があり、その遺構は現在も色濃く残る。石門や岩窟、胎内窟があり、鎖で登る岩、洞窟探検もでき、ちょっとした冒険気分、忍者修行気分が味わえる。洞窟探検には懐中電灯必須。自然豊かな山の風景を楽しめる。

 - 不動滝

観音山登山口の不動堂脇の崖上から流れ落ちる滝。修験者が滝に打たれる姿をイメージし、敬虔で澄んだ空気を満喫。夏場に味わう涼風は特に心地いい。冬には凍った美しい姿を見ることもできる。

 - 胎内くぐり

岩でできた小さな洞窟の中をくぐる。洞窟の中は狭くないが、はしごを登ったり、岩肌を降りたりするので、気をつけて。修験道において、胎内くぐりには肉体と魂を浄化し、「生まれ変わる」意味があります。

 - 観音山不動堂(瀧峩山金剛院)

観音山にある赤い御堂。江戸時代には吾妻の修験寺三院のひとつとされていた。伝説によると、正応年中(1288年~1292年)から永仁年中(1293年~1298年)の頃、岩櫃城主が祈祷所として城の鬼門に大聖不動明王を安置して金剛坊法印円覚を別当たらしめたのがはじまりで、真田の時代は先勝祈願所だっだと言われている。

3、東吾妻町役場

お城の形をした町役場。もともとは「岩櫃ふれあいの郷」という施設で、岩櫃城をモデルにつくられた。日帰り温泉などがあり町民に親しまれていたが、平成29年に温泉も閉館し、東吾妻町役場へと建物が引き継がれた。ちなみに町長室は天守閣にはない。

4、岩櫃真田忍者ミュージアム「にんぱく」

原町駅前、忍者ステーション内に「にんぱく」があります。手裏剣や十手、映画のポスターなど約300点が展示されています。プロジェクションマッピングによる演出や、VRゲームなどがあります。歴史とテクノロジーの交差する「にんぱく」に、ぜびお越しください。
休館日:火・水・木曜日(祝日は開館)

忍者コース

THE ROOT OF NINJA

1、出浦渕

真田氏の重臣で岩櫃城の城代だった出浦昌相の居館跡。岩櫃城の城の口から当時の主要道「真田道」に入ると西の木戸跡近くに現れる平場。出浦昌相は真田の忍者軍団を統率した忍びの棟梁であり真田の重臣。1583年吾妻奉行、後に岩櫃城代、岩櫃城廃城後は城下の原町に移り1623年に78歳で亡くなっている。

2、岩櫃真田忍者ミュージアム「にんぱく」

原町駅前、忍者ステーション内に「にんぱく」があります。手裏剣や十手、鎖鎌など貴重な忍者の資料約300点を展示。プロジェクションマッピングによる演出や、VRゲームなどエンターテイメントも。歴史とテクノロジーの交差する「にんぱく」に、ぜびお越しください。
休館日:水曜日(祝日は開館)

3、中之条町歴史と民俗の博物館「ミュゼ」

中之条町にある地域の博物館。建物は1885年(明治18年)に開校した吾妻第三小学校。明治初期の洋風学校建築の数少ない建造物として、1978年(昭和53年)群馬県指定の重要文化財となった。入館すると忍者の道具がまずはお出迎え。地域の文化財、民俗資料など石器時代から近現代までの豊富な史料は見応え十分。
休館日:木曜日(祝日は開館)

4、割田下総重勝の墓

中之条町横尾出身の忍者のお墓、中之条中学校の近く横尾地区の田園の一角にきれいに整備されている。真田忍者のエースで「忍びの上手は古今無双」と言われ、中山城、大戸城、岩櫃城、松井田城の戦いにめざましい戦果を挙げた。

5、唐沢玄蕃の墓

猿飛佐助のモデルとも言われる真田忍者のお墓。横尾地区・割田下総お墓のほど近くの山裾にある。玄蕃は中之条町上沢渡の出身で、割田下総重勝の娘と結婚していることから、名実ともに割田下総を後継する優れた忍者で、その功によって多くの知行を得ていた。吾妻郡の各地の要害も守備し、真田氏から信任厚く重用された。

パワースポットコース

SPIRITUAL PLACES

1、箱島湧水

箱島湧水は、東吾妻町の西部・箱島地区に湧き出ている名水。樹齢400年とも言われる東吾妻町の天然記念物「箱島不動堂の大杉」の根元から湧き出し、日量約3万トンという豊富な水量を誇る。1985年(昭和60年)に日本名水百選に選ばれている。下流ではホタルが生息し、6月~7月下旬の見頃には群馬県内有数のホタル鑑賞地となる。

2、忠治地蔵

箱島湧水から一気に東吾妻町の西に回り込み大戸地区へ向かうと、江戸後期の侠客・国定忠治を祀るお地蔵様がある。忠治は天明の大飢饉で餓死する庶民の救済に当たった。勢い余って代官を殺害して米倉を開放したことなどから幕府に追われ、信州街道の要所・大戸関所を破ったことで、この地で磔の処刑された。処刑場所に建てられた地蔵は「忠治地蔵」と親しまれ、今でも勝負事のご利益を求める参詣者が全国から訪れる。

3、仙人窟-東吾妻町

忠治地蔵から北へ向かうと街道左手の岩場にある神秘的な洞窟。大きな岩にぽっかりと開いた窟には千人入れるとも言われている。聖観世音像や十八羅漢像が並び雰囲気満点。先住民族の住居の跡とも言われ、日本武尊(ヤマトタケルノミコト)が東国征討の帰りに宿泊したという伝説も。付近の胎内窟を潜った先にある「奥の院」は、崖の上の舞台になっていて、これもまた神秘的。

4、密岩神社

2011年(平成23年)に奥宮から現在の東吾妻町郷原の古谷地区の高台、岩櫃山正面の絶好のロケーションに遷座。奥宮は密岩通り登山道の中腹にあり、崖の岩の中に造られた社で、現在は行くことができない。里宮からは電線など一切ない岩櫃山南面の絶壁、奇岩をドーンっと仰ぐことができる。日光の当たり方によっては、岩肌にキリストの顔が現れることも。真田氏に滅ぼされた斎藤氏のお姫様の悲哀の伝承が伝わる女神様の社。喧騒を離れて岩櫃と対話するのにこれ以上の場所はない。

5、潜龍院跡

武田家が滅亡へと向かう織田信長による甲州征伐のおり、岩櫃城主の真田昌幸様が武田勝頼公を迎えて守護するために建造した御殿跡。勝頼公は結局、家臣の裏切りにあい、岩櫃に来ることなく天目山で自刃、名門・武田氏が滅亡した。御殿は昌幸様の一族である根津潜竜斎という山伏(忍びの者とも言われる)が拝領して寺としていたが、後年に東吾妻町原町の顕徳寺の護摩堂として移築された。現在は石垣が残るのみ。昌幸様と忍者たちの活躍で、潜龍院および岩櫃城が武田家再興の地になっていたかもしれない。そんな幻想に思いを馳せる。秋のお彼岸には彼岸花が咲き乱れる。

6、神代杉

潜龍院後から国道145号に戻り、その街道筋、東吾妻町矢倉地区の島頭神社の境内にある樹齢1400年の大杉。中の空洞には樹齢250年の杉が生えており、親子杉ともよばれている。その昔、日本武尊(ヤマトタケルノミコト)が東征の際にお手植されたと言い伝えられている。境内には力石と呼ばれる石が2つある。小さいのが47kgで、大きい方が98kg。大きい方を抱え上げられると、より力持ちとして称賛されたという。