2024年9月8日

【にんぱく忍者修行ブログ】忍者豆知識その37

この記事は忍者豆知識その37です。この記事では真田氏と関係のある武田氏が争ったお城についてお届けします。
・前橋城(まえばしじょう)
現在の群馬県前橋市大手町にあったお城です。
長野賢忠によって築城されました。
上杉謙信がこのお城を拠点として、武田、北条氏と争ったと言われています。

前橋城は、群馬県前橋市にあった城で、江戸時代を通じて上野国(現在の群馬県)の中心地として機能しました。前橋城は、関東地方の重要な拠点として幕府や地域の有力大名の支配下に置かれ、その歴史には数多くの変遷がありました。

・前橋城の概要
所在地: 群馬県前橋市大手町
城の種類: 平城
築城年: 1534年(天文3年)
築城者: 長野賢忠
歴史的背景
築城と初期の歴史:
前橋城は、1534年に長野賢忠が築城したとされます。最初は「厩橋城(うまやばしじょう)」と呼ばれ、利根川の河岸に築かれたため、交通の要衝として重要な役割を果たしました。築城当初は、戦国大名の後北条氏の支配下にありましたが、北条氏が豊臣秀吉により滅ぼされると、関東一帯の支配が徳川氏に移りました。
江戸時代の前橋城:
関ヶ原の戦いの後、江戸幕府が成立すると、前橋城は徳川氏の家臣である酒井重忠の一族に与えられました。前橋藩の藩主が何度か変わり、酒井氏、松平氏、平岩氏などが城主となりました。城は、度重なる改修を経て現在の形に整えられ、江戸時代を通じて前橋藩の政治・行政の中心地として機能しました。
利根川の洪水と城の移転:
前橋城は利根川の近くに位置していたため、何度も洪水の被害に見舞われました。特に18世紀末から19世紀初頭にかけての度重なる洪水によって城は大きな被害を受け、1816年(文化13年)には、藩主松平直克(なおよし)が藩庁を現在の前橋市中心部に移転する決定を下しました。新しい藩庁はその後も前橋藩の行政の中心として使用されましたが、旧前橋城は放棄されました。
・明治以降と現状
明治維新後、前橋城は廃城となり、城の多くの建物は取り壊されました。現在では城跡が「前橋公園」として整備され、かつての堀や石垣の一部が残っています。城の中心部には前橋市立図書館や群馬県庁などの公共施設が建てられており、かつての城の面影を偲ぶことができます。
・現在の前橋城跡
前橋城跡は現在、前橋市の中心部にあり、市民の憩いの場として親しまれています。城の遺構としては堀や土塁が一部残されていますが、城の大部分は公園や公共施設となっています。毎年春には桜が美しく咲き、多くの観光客や市民が訪れます。

・見どころ
前橋公園: 城跡に整備された公園で、散策や休憩の場として利用されている。桜の季節には特に人気。
群馬県庁展望台: 前橋城跡の近くにある群馬県庁の展望台からは、かつての城下町や利根川の景色を一望できます。
前橋城は、江戸時代の藩政や利根川の歴史と密接に関わっており、前橋市の歴史的背景を理解する上で重要な場所です。

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