この記事は忍者豆知識その36です。この記事では戦国時代に真田氏・武田氏と戦って活躍した上杉氏や関するお城に関してお届けします。
・長井坂城(ながいざかじょう)
現在の群馬県渋川市赤城町・利根郡昭和村にあったお城です。
上杉氏が沼田城を攻めるための拠点として築きました。
武田氏の家臣である真田昌幸によって占領されますが、北条氏邦に攻められて退却しました。
遺構には曲輪や土類があったとされています。
・戦国大名のお城紹介、真田昌幸→上田城(うえだじょう)
上田城は、長野県上田市にある日本の名城の一つで、戦国時代から江戸時代にかけて重要な役割を果たした城です。特に真田氏の居城として有名で、真田昌幸が築城したことで知られています。
上田城は、1583年に真田昌幸によって築かれました。昌幸は武田氏の家臣でしたが、武田氏滅亡後に独立し、徳川氏や上杉氏、北条氏といった大名たちとの間で巧妙に立ち回り、領地を維持しました。
特に有名なのは、上田城が二度にわたる「上田合戦」で徳川軍を撃退したことです。
第一次上田合戦(1585年): 真田昌幸は、徳川軍を上田城におびき寄せ、城の防御を巧みに活かして撃退しました。この戦いで、少数の兵で徳川軍を退けたことは「真田の勝ち戦」として知られています。
第二次上田合戦(1600年): 関ヶ原の戦いの際、昌幸とその息子・真田信繁(幸村)は再び上田城で徳川軍と戦いました。この戦いでも、城の防御を活かして徳川軍を苦しめましたが、最終的には真田氏は降伏し、昌幸と信繁は九度山(和歌山県)に配流されました。
・上田城の構造
上田城は、川の流れを利用した天然の堀があり、城下町と一体化した城郭設計が特徴です。城の周囲には千曲川(信濃川の上流)が流れ、城の北側を守っています。石垣や門、櫓などは強固な防御を目的とした造りになっています。
・現在の上田城
現在、上田城跡は「上田城跡公園」として整備されており、観光地としても人気があります。主要な建物は再建されており、特に「南櫓」「西櫓」「北櫓」などの建物は見どころです。また、真田氏に関連する展示がされている博物館も併設されています。春には桜の名所としても知られ、多くの観光客が訪れます。
・その他の見どころ
真田神社: 上田城内にある神社で、真田氏を祀っています。
堀や石垣: 城跡の堀や石垣は当時のまま残っており、その規模や造りを観察できます。
上田市立博物館: 真田氏や上田城に関する歴史的資料や展示があります。
上田城は、真田氏の戦略的な才覚や、勇敢な戦いぶりを今に伝える歴史的な遺産です。訪れることで、日本の戦国時代の歴史と真田氏の足跡を感じることができます。