2024年8月19日

【にんぱく忍者修行ブログ】忍者豆知識その30 -木曾福島城-

この記事は忍者豆知識その30です。今日は真田氏と関係のある武田氏と、お城の要素についてお届けします。

・木曾福島城(きそふくしまじょう)について
戦国時代に、木曾氏が建てたとされるお城です。
武田氏の信濃侵攻に備えて木曾氏が築いたお城と言われています。
1598年(慶長3年)にお城は廃城となりました。
遺構には土類、堀などが残されています。

・御殿についてその2
京都にある二条城の二の丸御殿は、徳川家康が京都において将軍職を行うために建設したもので、豪華な内部装飾と広大な庭園が特徴です。襖絵には狩野派の絵師による作品が多く見られ、江戸時代の文化の高さを物語っています。
徳川家康が晩年を過ごした駿府城にも御殿が設けられていました。駿府城の御殿は、政治的な中心地としてだけでなく、家康の隠居後の生活の場でもありました。

・御殿の役割と生活
御殿は、その役割から家臣とのやりとりを行う「表」と、家族との暮らしを意味する「奥」とで分かれていました。
政治的役割として、御殿は、江戸時代の政治の中心として機能しました。特に将軍や大名が政務を行う場として、各地の大名や武士たちが参集し、重要な決定が行われました。
文化的役割として、御殿はまた、文化的な活動の場でもありました。茶の湯、能楽、書道、絵画など、武士たちが嗜んだ文化が発展した場所でもあります。御殿内の茶室や庭園は、茶道や園芸などの文化活動に使用されました。
・御殿の象徴性
江戸時代の御殿は、単に住居や政務の場であるだけでなく、その家の権威や威信を示す象徴的な建物でもありました。豪華な装飾や広大な敷地は、その家の富と力を示すものであり、また来客を迎える際の重要な場所でもありました。

・御殿の保存と復元
多くの御殿は明治維新後の変革で取り壊されたり、火災で失われたりしましたが、現在でも二条城の二の丸御殿など、一部の御殿は文化遺産として保存されています。これらの御殿は、日本の伝統建築や歴史的な文化を伝える重要な施設として、多くの観光客に親しまれています。

江戸時代の御殿は、日本の歴史と文化の一端を垣間見ることができる貴重な遺産です。

「御殿」(ごてん)という言葉は、主に日本における貴族や武士、または皇族などの高貴な人々が住む邸宅や建物を指します。歴史的には、特に戦国時代から江戸時代にかけて、多くの大名や将軍が広大で豪華な御殿を建てました。

御殿は、単に居住空間であるだけでなく、政治的な活動や儀式が行われる場所でもありました。典型的な御殿は、庭園や池、茶室などを備えた複合的な建築様式を持ち、そのデザインや装飾にはその家の富や権力を示す意味も込められていました。

たとえば、江戸城内にあった「二の丸御殿」や、京都御所の「紫宸殿(ししんでん)」は、いずれも重要な御殿の例として挙げられます。

また、御殿という言葉は現代においても、高級住宅や豪邸を指して使われることがあります。この場合、豪華さや格式の高さを強調するための表現として用いられます。

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