2024年8月18日

【にんぱく忍者修行ブログ】忍者豆知識その29 -野田城-

この記事は忍者豆知識その29です。今日は真田氏と関係のある武田氏の攻めたお城と、お城の要素についてお届けします。


・野田城(のだじょう)
野田城は、現在の愛知県新城市豊島にあったお城です。
武田氏と徳川氏との戦いにおいて決戦場になった場所です。
武田氏(信玄)は戦いに勝利しましたが、この戦いで病気が悪化し、なくなりました。
現在その場所には土塁と空堀が残されています。

・城門についてその2、有名な城門の例
大手門(おおてもん)は通常、城の正門にあたる門で、城の正面玄関として機能しました。敵が城に侵入する際、最初に立ちはだかるのがこの大手門です。たとえば、江戸城の大手門は特に有名です。
たとえば、大坂城の三の丸大手門(さんのまるおおてもん)は、櫓門と枡形門が組み合わさった非常に強固な構造で、徳川家康が豊臣家を滅ぼした際に重要な役割を果たしました。


・戦国時代と江戸時代の違い
戦国時代は戦が頻繁に行われていたため、城門は非常に実戦的な防御機能が強調されていました。門の構造は敵を罠にかけ、時間を稼ぐような工夫が施されていました。
江戸時代になると平和な時代が続いたため、城門の防御機能よりも、その象徴的な価値や権威を示すためのデザインが重視されるようになりました。門の装飾や形式が洗練される一方で、防御機能が必ずしも最優先ではなくなりました。
これらの城門は、城郭建築の技術の高さと防衛のための知恵が凝縮されたものであり、日本の歴史的な建築遺産の一部として今でも多くの城でその姿を見ることができます。

・御殿についてその1

江戸時代の「御殿」は、主に大名や将軍、皇族などの高貴な人々が住む邸宅や政務を行うための施設を指します。御殿は、その居住者の身分や地位を象徴する豪華な建物であり、政治的、文化的な中心地としての役割も果たしていました。

・江戸時代の御殿の特徴
江戸時代の御殿は、和風建築を基調としながらも、非常に豪華な装飾が施されていました。畳敷きの大広間や、障子、襖(ふすま)に描かれた絵画、精緻な彫刻などが特徴的です。また、庭園や茶室などが併設され、自然との調和が重視されました。
御殿は複数の建物が連なった構造で、主殿、書院、茶室、離れなどの建物が配置されていました。また、外部からの侵入を防ぐための塀や門、そして池や石垣などが設けられ、厳重な防御が施されていました。
・ 江戸時代の代表的な御殿
江戸城の御殿として、江戸城内には、「本丸御殿」、「二の丸御殿」、「西の丸御殿」など複数の御殿が存在していました。これらの御殿は将軍の住居であり、政務を行う場でもありました。特に本丸御殿は、将軍の公式な居住空間であり、政治的な儀式が行われる重要な場所でした。

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