2024年5月4日

忍者豆知識その1

忍者豆知識・津軽地方(青森県)の忍者について
津軽為信は、出自は諸説ありますが、南部氏の史料によると大浦氏の養子だったとされます。弘前藩と南部藩(現在の青森県)で南部氏や浪岡北畠氏と争ったと言われます。
その際に為信は忍者を重用して浪岡城を陥落したと言われています。

忍者豆知識・川中島の合戦の忍者
上杉謙信と武田信玄が戦った川中島の合戦では、両軍とも忍者がいて戦いを決していました。

忍者豆知識・関ヶ原の戦いにおける忍者
関ヶ原の戦いにおいては、東軍・西軍のともに戦いに忍者がいました。忍者の鉄砲隊がいたり、情報操作をしていたものもいました。
鉄砲が日本に伝わったのは、戦国時代中期から後期であり、この時期は忍者が活躍した時代でもあります。忍者はその活動の中で、鉄砲を使用することがあったと考えられています。
忍者が鉄砲を使う場面は、特に城攻めや襲撃などでの戦闘において見られました。鉄砲は当時の日本では比較的新しい武器であり、短時間で訓練すれば使えることから、忍者が短期間で鉄砲の扱いを覚え、戦闘での優位性を確保するのに役立ったと考えられています。
また、忍者は情報収集や諜報活動にも従事しており、敵陣に潜入する際には、鉄砲を使って敵の動きを封じる、あるいは混乱を引き起こすといった戦術を用いたとされています。
ただし、忍者が鉄砲をどれだけ広く使っていたかについては議論の余地があります。

忍者豆知識・百地丹波守(ももちたんばのかみ)
百地丹波守(ももちたんばのかみ)は天正伊賀の乱の時に活躍した忍者(上忍)です。
織田信長の息子織田信雄に伊賀を攻められたときはそれを撃退しましたが、その後の織田信長の軍にはなすすべがなく消息不明となりました。

忍者には上忍・中忍・下忍の制度があり、そのうち上忍には服部半蔵、百地丹波守、藤林長門守がいます。
上忍・中忍・下忍は、忍者が所属する組織内での階級制度を表す言葉です。忍者は、忍術や諜報活動などを通じて主君や雇い主のために働くことが多く、その組織内での序列や役割分担を示すために使われました。
上忍は、組織内での上級の忍者を指します。通常は指導的な役割を担い、忍術や指揮能力に優れた者が任命されることが多いです。上忍は、組織の中心的な存在であり、重要な任務を担当することが多いです。
中忍は、組織内での中間クラスの忍者を指します。一般的には、上忍の指示を受けて任務を遂行することが多く、また、新人の指導や下忍の監督なども担当することがあります。
下忍は、組織内での初級の忍者を指します。下忍は、主に基本的な任務や補助的な役割を担当し、経験を積んで成長していく段階です。また、下忍は上級忍者からの指導を受けることが多いです。