この記事では真田氏と関係のあるお城についてお届けします。
・砥石米山城(といしこめやまじょう)
砥石米山城は、現在の長野県上田市上野にあったお城です。
砥石米山城(といしこめやまじょう)は、長野県に位置する戦国時代の山城です。特に武田信玄と村上義清との戦いで知られ、信濃国(現在の長野県)における重要な拠点の一つでした。
鎌や包丁を研ぐ砥石が多く取れたことからつけられた名前だと言われています。
・歴史と背景
砥石米山城は、北信濃の豪族である村上義清の支配下にありました。村上氏はこの城を拠点にし、武田信玄との戦いに備えていました。この城の名を有名にしたのは、1550年に武田信玄が砥石城を攻めた「砥石崩れ」と呼ばれる戦いです。この戦いで、武田軍は大敗を喫し、多くの武将が戦死しました。この戦いは武田氏にとって大きな痛手となり、信玄の軍事的な勢力拡大に大きな影響を与えました。
その後、武田信玄は戦略を練り直し、武田の配下となった真田幸綱によって、1551年に村上義清を再度攻め、最終的に村上氏は城を失い、砥石米山城は武田氏の手に落ちました。
・城の構造
砥石米山城は、砥石城と米山城の二つの城郭から成る連郭式の山城です。自然の地形を活かしており、険しい山の斜面に築かれた堅固な防御構造が特徴でした。これにより、敵軍の侵入を防ぎ、持久戦に耐えることが可能でした。
・現在の状況
現在、砥石米山城の跡は史跡として保存されており、城跡には土塁や堀切などの遺構が残っています。地元の歴史愛好家や戦国時代の研究者にとっては、興味深い観光地や学びの場となっています。