2024年6月7日

【にんぱく忍者修行ブログ】忍者豆知識その10 -風魔小太郎とにんぱくの展示物-

今日は忍者豆知識その10をお送りします。今日は真田忍者ではありませんが、忍者と忍者道具についてお送りします。

・忍者豆知識 風魔小太郎(ふうま こたろう)
風魔小太郎は、日本の戦国時代から江戸時代初期にかけての伝説的な忍者で、風魔一族の頭領として知られています。風魔一族は関東地方を拠点とし、特に北条氏に仕えた忍者集団です。

風魔一族は、主に北条氏に仕え、関東地方で活動していました。
風魔小太郎は、風魔一族の頭領として一族を率い、その名を広めました。

風魔小太郎は、様々な伝説とともに語られ、非常に優れた戦闘技術や忍術の使い手として知られています。
彼の伝説には、超人的な力や神出鬼没の行動、奇抜な戦術などが含まれます。
一部の伝説では、彼が幻術や妖術を使ったとも言われています。

風魔小太郎は、敵の城に潜入し、情報を収集したり、破壊工作を行ったりしました。
北条氏のために、敵の大名やその家臣を暗殺する任務も引き受けました。

風魔一族は、通常の忍者とは異なり、盗賊といった一面も持っていました。
彼らは、大胆な戦術を好み、しばしば敵を恐怖に陥れました。

風魔小太郎は、時代劇や忍者関連のフィクション作品で頻繁に取り上げられています。
彼の伝説は、忍者の神秘性や冒険心を象徴する存在として人気があります。
風魔小太郎の実像は歴史的な記録に乏しく、その多くは伝説や逸話に基づいています。しかし、彼の名は日本の忍者文化において重要な位置を占め続けています。

・にんぱくの忍者道具紹介 水筒 

水や油を使用して使う筒です。脂の場合、火を放つことができます。
水筒は、その種類についてはいくつかあります。
竹筒は、竹の節を利用して作られた水筒です。軽くて丈夫で、自然素材を利用しているため、古くから広く使われてきました。竹筒の水筒は、山仕事や農作業、遠征などに持ち運ばれることが多かったです。
竹は非常に軽く、持ち運びが簡単なものです。
丈夫で、ある程度の衝撃に耐えることができます。環境に優しく、加工も容易です。
木製の水筒も広く使われていました。特に木をくり抜いて作った木筒は、保温性があり、飲み物を長時間冷たいまま、あるいは温かいままに保つことができました。
木材の自然な断熱効果により、温度を保ちやすく、形やデザインを工夫しやすいです。
陶器の水筒は、保温性が高く、飲み物を清潔に保つために使われました。特に茶道や儀式の際には、陶器の水筒が重宝されました。
飲み物の温度を一定に保つのに適しています。
陶器は清潔に保ちやすく、臭いがつきにくいです。
革製の水筒は、主に狩猟や遠征などで使われました。動物の皮を利用して作られ、柔軟性があり、比較的軽量でした。
革は柔らかく、収納しやすいです。適切な処理を施せば、耐久性が高くなります。
金属製の水筒は、特に戦国時代や江戸時代において、武士や兵士が遠征の際に使ったとされています。金属は丈夫で、飲み物を長時間冷たく保つのに適していました。
金属は非常に丈夫で、長持ちし、冷たい飲み物を長時間冷たく保つことができます。
これらの昔の水筒は、それぞれの時代や用途に応じて工夫され、使われてきました。現代のステンレス製やプラスチック製の水筒と比べると、素材や形状に違いがありますが、いずれも日常生活や特定の場面で重要な役割を果たしていました。

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2024年6月2日

【にんぱく忍者修行ブログ】忍者豆知識その9 -長篠の戦いとにんぱくの展示物-

今日は忍者豆知識その9をお届けします。忍者が参戦した合戦についての話です。

・忍者豆知識 長篠の戦い(ながしののたたかい)
長篠の戦いは、日本の戦国時代において、1575年(天正3年)に織田信長・徳川家康連合軍と武田勝頼軍の間で行われた重要な戦いです。この戦いは現在の愛知県新城市の長篠城周辺で行われました。唐沢玄蕃(からさわげんば)をはじめ忍者も参戦したと言われています。

織田信長は織田・徳川連合軍を率い、武田勝頼は武田軍を率いていました。
武田軍は長篠城を包囲し、織田・徳川連合軍と対峙しました。

織田信長は新しい戦術を導入し、鉄砲隊を有効に活用しました。
長篠の戦いは鉄砲を大量に使用した戦闘の一つとして知られています。織田軍は三段撃ちという戦法を採用し、連続的に射撃を行うことで武田軍に大きな打撃を与えました。

織田・徳川連合軍の勝利に終わり、武田軍は大きな損失を被りました。
この勝利により、織田信長は戦国時代における彼の地位をさらに強固にしました。
長篠の戦いは、日本の戦国時代の軍事史において重要な転換点となり、特に鉄砲の戦術的な使用が戦争の形態に大きな影響を与えた戦いとして知られています。

・にんぱくの忍者道具の紹介 苦無(くない)


苦無は、日本の忍者が使用したとされる多目的な道具です。もともとは農具や土木作業用の工具として使われていたものですが、忍者の間で武器や便利なツールとして利用されるようになりました。以下に、苦無について詳しく説明します。
苦無は、鉄製の短剣のような形状をしており、両端が尖っていることが多いです。
刃が両刃のものや、片刃のものがあります。長さは10センチから30センチ程度と様々です。
苦無は、近接戦闘における短剣として使用されました。投げて使うことも可能でした。
苦無は、壁を削ったり、穴を掘ったり、扉をこじ開けるための工具としても利用されました。
壁や木に登る際の補助具としても使われ、特に両端が尖っているため、刺して固定するのに便利でした。
他にも、杭を打ったりするための道具としても活用されました。
忍者は苦無を使って、静かに敵に近づき、迅速に攻撃することができました。また、苦無を隠し持つことが容易であったため、サプライズ要素もありました。
苦無を投げる技術は、遠距離から敵を攻撃するために用いられました。これにより、忍者は直接の接触を避けつつ攻撃することができました。
忍者が登場するフィクション作品では、苦無はしばしば武器として描かれています。アニメや漫画、映画などでその姿を見ることができます。
忍者を象徴するアイテムの一つとして、コスプレや観光地での展示などでも人気があります。
苦無は、その多様な用途と実用性から、忍者にとって非常に重要なツールでした。シンプルながらも効果的なデザインは、忍者の機知と工夫を象徴するものとして、現在でも多くの人々に親しまれています。

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2024年6月1日

【にんぱく忍者修行ブログ】忍者豆知識その8 -にんぱくの展示物紹介-

今日は忍者豆知識その8をお送りします。今日はにんぱくの忍者道具の紹介をメインに行います。二種類の手裏剣についてです。

・にんぱくの忍者道具紹介 鉾型棒手裏剣(ほこがたぼうしゅりけん)


先端に矛がついている手裏剣です。
鉾型棒手裏剣は、手裏剣の一種で、その形状が鉾(ほこ、長槍)に似ていることからその名がつけられています。棒手裏剣は一般的に細長い金属製の棒であり、投擲武器として使用されますが、鉾型棒手裏剣は特にその形状が特徴的です。以下は鉾型棒手裏剣についての詳細です。


鉾型棒手裏剣は、長さが約15~20センチメートル程度で、先端が鋭利に尖っているのが特徴です。鉾や槍のように先端が尖っており、刺突力が高いです。
通常、鉄や鋼などの金属で作られており、強度と耐久性が求められます。
一部の鉾型棒手裏剣は、さらに飛行を安定させるためにバランスを考慮したデザインが施されています。
棒手裏剣は手で握って投げることが一般的です。投擲時には、回転をかけることで直進性を保ち、ターゲットに正確に命中させることができます。
必要に応じて、近接戦闘でも使用することができます。短い武器のように使用することができ、刺突武器として効果を発揮します。
主に敵を傷つけるために使用されますが、妨害や注意をそらす目的でも使用されることがあります。特に忍者によって情報収集や暗殺の手段として使用されました。

鉾型棒手裏剣は、日本の武道や忍術の一部として、今なおその魅力を持ち続けています。


・にんぱくの忍者道具紹介 燕型手裏剣(つばめがたしゅりけん)


燕の形をした手裏剣です。燕の羽のように曲線を描いている形状の手裏剣です。
燕型手裏剣は、手裏剣の一種で、その形状が燕(ツバメ)に似ていることからその名がつけられています。この手裏剣は、飛行中にツバメのように羽ばたくような軌道を描くことで知られています。
燕型手裏剣の特徴と利点は以下の通りです。
通常、複数の刃が中央のハブから放射状に伸びている形状を持ち、ツバメの翼のように見えるように設計されています。
その形状により、投げた際に空中で安定した飛行をし、ターゲットに命中する確率が高まります。
他の手裏剣同様に、敵を傷つけたり、妨害したり、注意をそらすために使用されます。投擲技術が重要であり、熟練した忍者はこの手裏剣を効果的に使うことができます。
燕型手裏剣は、忍者の武器の一つとしてだけでなく、現代でも忍術の象徴として人気があります。収集や展示用としても興味深いアイテムです。
具体的な歴史や製作方法についてさらに詳しく知りたい場合は、忍術に関する書籍や資料、忍者に関連する博物館を訪れるとよいでしょう。

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2024年5月30日

忍術〜対人術編〜|にんぱくブログ|体験

NINJA

忍者の主な任務に、情報を持ち帰るというものがあります。諜報活動の一つですね。そのためには、相手を信用させたり、騙したり、惑わせたり、怒らせたりと、様々な感情を利用しました。どんな術があったのかご紹介します。

五情五欲の理

五情とは「喜・怒・哀・楽・恐」の五つの感情です。五欲とは「食・性・名声・お金・睡眠」の五つの欲望のことです。忍者は情報を得たいと思った相手を良く観察し、その弱みがどこなのか突き止めました。例えばお金に困っている又はお金に対する欲が強い相手には、賄賂を贈って、こちら側に寝返らせるなどです。このくらいのことは、忍者には簡単なことだったのです。

予言

迷信深くて暗示にかかりやすい人というのはいつの時代でもいます。現代では、偽占い師がコールドリーディングなどを使って、さも自分には霊能力があるように見せかけることがあります。コールドリーディングとは、相手の事情や情報などを事前に知らなくても、相手の服装、表情、話し方や何気ない会話などから相手のことを推測し、言い当てることです。誰にでも当てはまるようなことを言って、相手を暗示にかけたりすることもコールドリーディングのテクニックの一つです。忍者もこれに似た術を使いました。
戦国〜江戸の時代、人々は今より伝承などを本気で信じている人が多かったのでしょう。忍者は伝承されてきた「予言書」を利用して「都合の良い予言」をして、さも自分は超人的な力を持っているかのように振る舞いました。

呪術

忍者は九字護身法や、修験道・密教の呪文を唱えていました。その目的は精神統一して力を引き出したり、心を強く保つためと言われています。しかし忍者が活躍していた時代、忍者の中にも本気で神仏を信じる者がいたとしてもおかしくありません。そういう忍者は、本気で神仏の力を借りるために呪術的なものを行なっていたのではないでしょうか。
ここで、九字護身法について紹介いたします。

九字護身法

忍者が指で印を結びながら忍術を使う場面を映画やアニメで見たことがある方は、九字護身法をすでに知っているかもしれません。九字護身法は陰陽道の呪文としても有名ですね。忍者は精神統一をしたり、自己暗示をかけたり、災いを祓い戦勝を願うために九字の印を結んだとされています。
「臨(りん)・兵(ぴょう)・闘(とう)・者(しゃ)・皆(かい)・陣(じん)・列(れつ)・在(ざい)・前(ぜん)」

なお、印の結び方は流派によって微妙に形が違います。
素人が九字護身法を切ることは禁じられているそうなので、皆様が試すときには自己責任でお願いします。何が起きても、当館は責任を負いません。

幻術

人の目を欺く術、私たちが想像するような、フィクションの中の忍者のような者もいたかましれません。しかしそれは現在の手品師のようなものが大半で、きちんと種があります。動物に変身したように見える術を使う忍者もいました。
例えば、漫画のNARUTO。読んだことはないけれど、知っているという方は多いのではないでしょうか? NARUTOは特に海外で大人気の漫画となりました。NARUTOに出てくる忍術はどれもワクワクするようなものばかりです。影分身の術、と言えば主人公ナルトが使っていましたね。実際に、分身術という忍術がありました。が、漫画とはちょっと違うやり方です。いくつか説がありますが、相手に薬を飲ませて何人もいるように幻覚を見せたり、同じ服を着た別の人間を複数用意して相手を混乱させる、などです。残像によって複数人いるように見せた忍者もいたと言われていますが、それほど俊敏に動ける忍者はもう超人ですね。しかし忍者は普段から厳しい修行を積んでいたため、そのくらい俊敏に動けた可能性も十分あります。

終わりに

ここで紹介した忍術には、ほぼ道具はでてきませんが、このブログを運営しているにんぱくには、忍者が実際に使っていた忍具が展示されています。群馬県の北西にある東吾妻町に、にんぱくはあります。吾妻地域は真田氏が支配していたころ、忍びの者として真田家に仕えていた忍者がいました。岩櫃城と言えば歴史好きの方はピンと来るかもしれません。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。これからもにんぱくをよろしくお願いいたします!

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2024年5月26日

【にんぱく忍者修行ブログ】忍者豆知識その7 -真田十勇士とにんぱくの展示物-

今日は忍者豆知識その7をお送りします。今日は真田十勇士の一人についてです。

・忍者豆知識 猿飛佐助(さるとび さすけ)
猿飛佐助は、真田十勇士の一人で、真田氏に仕えた忍者とされますが、創作上の人物で、モデルになったと言われる人がいます。
猿飛佐助は、日本の忍者の伝説的な人物の一人です。彼は主に江戸時代の創作や大衆文化に登場する架空のキャラクターで、特に真田十勇士の一人として有名です。
猿飛佐助は、動物のような超人的な運動能力を持つことで知られています。彼の師匠は戸沢白雲斎という伝説の忍者で、彼からさまざまな忍術を学んだとされています。
真田十勇士は、真田幸村(真田信繁)に仕えた十人の勇敢な忍者たちの集団で、猿飛佐助はその中でも特に有名です。他の十勇士には霧隠才蔵や三好清海、穴山小助などが含まれます。


猿飛佐助は、卓越した身体能力や忍術の技術を持ち、高い壁を登ったり、大きな飛躍をしたりする能力で知られています。また、隠密行動や偵察、戦闘技術にも長けています。
猿飛佐助は、江戸時代の読本や草双紙に登場し、後に映画、テレビドラマ、アニメ、漫画などでも人気キャラクターとして描かれています。特に児童文学やアクション作品で多く取り上げられ、忍者の象徴的存在となっています。
猿飛佐助の具体的な歴史的証拠は存在しないため、実在の人物ではないと考えられています。しかし、その伝説や物語は、忍者の神秘的なイメージを強調し、後世に影響を与え続けています。

猿飛佐助の物語は、忍者の文化や伝説を楽しむための重要な一部となっており、さまざまな作品でその活躍を見ることができます。

・にんぱくの忍者道具紹介 八方手裏剣(はっぽうしゅりけん)


八方向に棘の突起がついている鉄製の手裏剣です。
八方手裏剣は、手裏剣術において使用される手裏剣の一種です。手裏剣とは、忍者や武士が投擲武器として使用した小型の刃物であり、攻撃や防御、奇襲などに用いられました。八方手裏剣はその中でも特に有名な形状の一つです。
八方手裏剣は、中央から放射状に八本の刃が突き出ている星型の手裏剣です。名前の通り、「八方」は八つの方向を意味し、八つの刃がどの方向に投げても刺さりやすい構造となっています。
多くの場合、鉄や鋼で作られています。丈夫で切れ味がよく、投げた際の破壊力が高いです。
手裏剣は通常、片手で持ち、特定の技術を用いて投げます。八方手裏剣は、その形状からどの角度で当たっても効果的に刺さるため、命中率が高く、敵を驚かせるのに有効です。
手裏剣術は、戦国時代から江戸時代にかけて発展しました。八方手裏剣は、多くの忍者や武士によって使用され、戦闘や自衛の手段として広く認知されていました。また、手裏剣術の訓練は、忍者や武士の重要な技能の一つとされていました。
現代では、手裏剣は主に歴史的な展示品や武道の一環として扱われています。手裏剣術は武道の一部として学ばれることがあり、特に忍者文化に興味を持つ人々にとっては魅力的なテーマです。また、手裏剣は映画やアニメ、漫画などのフィクション作品でも頻繁に登場し、その神秘的でクールなイメージが強調されています。

八方手裏剣は、忍者の武器としての象徴的な存在であり、そのユニークな形状と機能性から、歴史的にも文化的にも重要な意味を持っています。

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2024年5月23日

忍術〜山の歩き方編〜|にんぱくブログ|体験

NINJA

現代の日本では、レジャー以外で山道を歩く機会はあまりないのではないでしょうか?
忍者が活躍していた戦国時代は、山を越えるとき、峠道くらいしか人が歩けるようには整備されていませんでした。里でも人があまり足を踏み入れない山は身近にありました。忍者の重要な任務である諜報活動では、人目につかない道を歩く必要があるので、時には道ならざる道を歩いたのでしょう。忍者は生きて情報を持ち帰ることが任務です。忍術には攻撃に関する忍術はもちろんのこと、無事に帰る忍術もたくさんあります。

目次

  1. 見知らぬ山で道を見失ったときの忍術
  2. 道を覚える忍術
  3. 忍者の方位磁石
  4. 忍者の方位磁石を縫い針で検証

1.見知らぬ山で道を見失ったときの忍術

まず辺りを良く観察します。里へと続く重要な道は、人が頻繁に行き来するため、道にわらじの足跡や、牛馬の沓跡や糞がないか地面を見ます。そして、森の獣たちの様子も観察します。鳥やその他の動物が、人をひどく恐れないか? 恐れる場合、例えばすぐに鳥が飛び立つなどの場合は人通りが多い道という手掛かりになります。 そういった痕跡を探して、道を見つけます。
道の整備の状態から、里への距離を察することもできました。
切り株の切り口が新しかったり、草の生え方が段々になっていれば、人の手が入っているということになり、里が近いということです。

2.道を覚える忍術

山中を歩くときは、迷わず戻れるように道を覚えながら進みます。道を覚えるために、特徴ある植物や、景色を目印として記憶します。印象に残る物がなければ、自分で目印をつくります。「枝を折る」「ナタで木を傷つける」「足跡をつける」「足元の草を結んでおく」などです。
間違えて脇道に入ってしまい迷いかけたら、目印のある地点まですぐに戻ります。道なき道を行くなら、ただやみくもに進むのではなく、こまめに後方を確認。ひとつ前につけた目印がまだ視界に入る場所に、次の目印をつけていきます。

3.忍者の方位磁石

忍者は通常、太陽や北極星の動きを見て、方角を見極めていました。夜ならば星、昼ならば太陽。では曇り空や雨の場合はどうだったでしょうか。そんなとき、忍者は現代でいうところのコンパスのような道具を用いて、南北を知りました。当館のにんぱくには、実際に使われていた「耆著(きしゃく)」という道具が展示されています。

耆著を水に浮かべると、ゆっくりと回転して特定の方向を示します。南北のどちらを先端にするか、あらかじめ準備しておく必要があります。準備は、耆著屈を熱してすぐに冷やします。冷やすときに、先端を南に向けていれば尖ったほうがS極になります。耆著屈ではなく縫い針を用いることもできます。

4.忍者の方位磁石を縫い針で検証

用意するもの

  • 縫い針(鉄製)
  • 蝋燭
  • ライター
  • ピンセット
  • 水を入れる容器
  • 方位磁石(スマホのコンパスアプリで最初試しましたが、本物の方位磁石のほうが正確です)

スマホのコンパスアプリを起動して南がどちらにあるか把握しておきます。
縫い針をキュリー温度まで上げます。鉄のキュリー温度は770℃で、ライターの火が800℃くらいです。蝋燭は火の部分によって温度が違うのですが、だいたいはライターと同じくらいなので、蝋燭で縫い針を加熱します。火傷しないようにピンセットではさみ、先端からゆっくりスライドさせていきます。

ライターで熱しても良いのですが、熱するのにちょっと時間がかかるため、蝋燭のほうが安全です。

水の入った容器に熱した針をつけます。針先は南に向けて冷やします。

さて、きちんと南を指すようにS極になったか検証します。

うーん。特定の方向を指すようになりましたが、なぜか南ではありません。なぜ?
何度も針を熱して南に針先を向け冷やしても、指す方向は、南西の方角。

と、ここでコンパスの北と南の位置が変わりました!そしてそのスクリーンショットは撮り忘れました!針先の方角に南が移動したのですが、位置がこんなに移動するなんてこのスマホコンパスは信頼できません。それとも、この場所の磁場がおかしいのでしょうか? いや、何日か前に巨大な太陽フレアが発生してGPSなどに影響を与えるとありましたが、その影響・・・?

とここで一旦、手作りコンパスの検証を諦めかけましたが、翌日ダイソーで方位磁石を買ってきました。

これで再検証です。

ほとんど南を向いていると言っていいのではないでしょうか?しかし、冷やすときに、私は南ではなく東ほうへ針の先を向けていましたが、針先は南を指しています。どうやら、冷やす方向によって好き勝手に針先の方角を変えられるわけではないようです。そして実験から1日後でも、針はしっかりと方位磁石として機能していました。原理は後ほど調べてみます。

ということで検証は成功しました!

最後までお読みいただきありがとうございました。

にんぱくブログを今後もよろしくお願いいたします。
夏休みに自然あふれる吾妻の地で、忍者体験しませんか?

にんぱくはいつでも皆様のご来館をお待ちしております。

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2024年5月19日

【にんぱく忍者修行ブログ】忍者豆知識その5 -唐沢玄蕃とにんぱくの展示物-

この記事は忍者豆知識その5です。今日は真田忍者についてのお話をお届けします。

・忍者豆知識 唐沢玄蕃(からさわげんば)
唐沢玄蕃は、上野国吾妻郡中之条沢渡出身の忍者で、父・杢之助(もくのすけ)と子・於猿(おさる)の二人で同じ名前を名乗っていたとされます。
武田氏に仕えた後に、真田氏に仕えました。杢之助の方は上野国嵩山城合戦(たけやまじょうかっせん)で死に、於猿が同じ名前を名乗りました。


唐沢玄蕃は中山城や尻高城(しったかじょう)など城を攻略し、真田軍の数々の合戦に参加したと言われています。
唐沢玄蕃の特技は、卓越した大きな跳躍力と火薬を使用した忍術でした。
例えば、尻高城攻略の際には、特技の火薬を使用した術を使い城を火の海にするなどの火計を行ったと言われています。

嵩山城は群馬県中之条町五反田字嵩山にあったお城です。戦国時代に国衆・吾妻斎藤氏の居城として利用されました。
武田氏と斎藤氏は当初は斎藤氏が武田氏に従属していましたが、お互いの所領問題が起きたことで武田氏から離反する形になりました。
武田氏・真田氏と斎藤氏が対立し、斎藤氏は抵抗しましたが、真田幸綱によって城を攻め落とされました。
その後、嵩山城は江戸時代には山伏の修行場となりました。
尻高城は、群馬県吾妻郡高山村尻高にあったお城です。白井城主の長尾重国が築いたお城で、武田氏の家臣であった真田幸綱(真田幸隆)が尻高氏と対立し、武田氏によってお城を攻め落とされたと言われています。
沢渡は、中之条町にある地名で、中之条町は、群馬県吾妻郡に位置する町で、沢渡温泉(さわたりおんせん)がその一部にあります。この地域は、自然豊かで、温泉地としても知られています。

・忍者豆知識 霧隠才蔵(きりがくれさいぞう)
真田十勇士の一人として真田忍者です。伝承上の架空の人物ですが、モデルとなった人物として霧隠鹿右衛門がいます。
「真田十勇士」という表現をはじめて用いたのは、明治・大正時代に刊行された立川文庫であるとされます。

真田十勇士(さなだじゅうゆうし)は、江戸時代の講談や小説などに登場する架空の忍者集団で、真田幸村(真田信繁)に仕えたとされています。彼らは日本の戦国時代を舞台にした物語で人気を博しました。
真田十勇士は、実在の人物ではなく、フィクションの世界で創造されたキャラクターたちです。しかし、彼らの物語は、真田幸村の伝説を彩り、多くの人々に愛されています。彼らの活躍は、小説やドラマ、映画などさまざまなメディアで描かれています。

・にんぱくの忍者道具の紹介
卍手裏剣


卍型の形をした手裏剣。

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2024年5月18日

【にんぱく忍者修行ブログ】忍者豆知識その4 -出浦盛清と割田重勝-

今日は忍者豆知識その4をお送りします。今日は真田忍者にまつわるエピソードです。

忍者豆知識 出浦盛清(いでうらもりきよ、実名・昌相(まさすけ))
出浦盛清は、真田忍者として知られています。戦国時代から江戸時代前期にかけての武将として知られ、初期は武田信玄に仕え、その後真田氏に仕えた忍者であると言われています。関ヶ原合戦後は、吾妻郡代という代官になり上州吾妻郡原町(現在の東吾妻町)に住み78歳まで生きたと言われています。


配下の忍者に割田重勝がおり、彼は戦国時代まで活躍しましたが、江戸時代で忍者の仕事がなくなり、稼ぎがなく盗みに働いていたところを出浦氏配下の役人に捕まり、彼を裁くことになるエピソードがあり、盛清としては悲しいエピソードだったと言えます。

東吾妻町(ひがしあがつままち)は、日本の群馬県吾妻郡に位置する町です。この町は、豊かな自然と温泉が特徴的で、多くの観光名所があります。
草津温泉は日本有数の温泉地で東吾妻町から比較的近い場所に位置しています。
川原湯温泉は東吾妻町の近くの長野原町にある温泉地で、静かでリラックスできる環境が魅力です。
東吾妻町の温泉としては、桔梗館、東吾妻町三島の天狗の湯などがあります。
吾妻渓谷は美しい渓谷で、ハイキングや自然観察に最適です。群馬県吾妻郡東吾妻町から長野原町にまたがる吾妻川の渓谷で吾妻峡という名称で国の名勝に指定されています。
東吾妻町は、古くから多くの歴史的な建物や神社があります。また、地元の祭りや伝統行事も多く、地域の文化を感じることができます。
交通は鉄道で吾妻線が通っており、草津温泉や軽井沢などの観光地へのアクセスが便利です。
関越自動車道を利用してアクセスできます。
東吾妻町は、豊かな自然環境を活かした農産物が特産品として有名です。例えば、リンゴや野菜、こんにゃくなどが挙げられます。

・忍者豆知識 割田重勝(わりたしげかつ)
割田重勝は、真田氏に仕えた忍者です。敵方の北条氏の城・中山城に偵察に行く等様々なお城(沼田城、中山城etc)に偵察に行き戦果をあげました。また馬を盗むことを得意とし、敵陣の北条氏に行く時大豆売りを装い、敵の馬を奪って逃走する等に成功したエピソードがあります。
中之条町横尾出身であるとされます。
中山城は現在の群馬県高山村のお城で、北条氏によって築かれた城です。現在も大きな堀などの遺構が残っています。

・にんぱくの展示室の忍者道具の紹介
折り畳み十字手裏剣

折り畳んで収納可能な十字型の手裏剣です。

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2024年5月12日

忍者豆知識その3 -上田城攻防戦とにんぱくの展示物-

今日は忍者豆知識3をお届けします。今回は真田忍者と真田忍者以外の忍者の話です。

忍者豆知識・上田城攻防戦
関ヶ原の戦いの前の徳川秀忠は、真田氏と対立し真田氏の上田城を攻め落とそうとしていたが、その時に真田忍者のゲリラ戦にあい、
これにより秀忠は関ヶ原の戦いに向かうことができなくなります。

上田城(うえだじょう)は、長野県上田市にある城跡で、戦国時代から江戸時代にかけて栄えた城郭です。真田昌幸が徳川氏や上杉氏から援助を受け、上田城を完成させました。
上田城は、戦国時代に信濃国(現在の長野県)を支配した小笠原氏や真田氏などの拠点として築かれました。特に真田信繁(幸村)が城主として知られ、上田城は真田氏の本拠地として栄えました。真田氏は豊臣秀吉や徳川家康といった大名と抗争を繰り広げ、上田城も幾度か攻撃を受けましたが、堅固な城郭として知られています。

慶長5年(1600)の関ヶ原の合戦後、徳川幕府は上田城を廃城し、その後、真田昌幸・幸村は九度山(和歌山県)への流罪に処され、上田領は家康から与えられた真田氏の長男の信之が引き継ぐことになります。
その後上田城は寛永3年(1626)に仙石忠政によって復興が始まり、櫓(やぐら)や土塀(どべい)が作られ、仙石氏や松平氏によって復興工事されました。
明治時代になると上田城は櫓などを除き解体され、現在では上田城址公園として整備され、多くの観光客や地元の人々に親しまれています。

忍者豆知識・厳島(いつくしま)の戦い・毛利元就・江良房栄・陶晴賢
厳島の戦いは毛利元就(もうりもとなり)軍と陶晴賢(すえはるかた)軍との戦いです。毛利氏と陶氏の戦いである厳島の戦いでも、情報操作の忍者が活動していました。

毛利氏側は偽文書を作り、陶氏の配下江良房栄が毛利氏と内通しているという情報を流し、
陶氏はそれを信じ配下の江良房栄(えらふさひで)を殺害してしまいます。陶氏がそれを信じ込んだのは過去に主君大内義隆を暗殺を企てていたからだとされます。
その後毛利氏は数々の情報操作をし、援軍である村上水軍を呼ぶため時間を稼ぎ、合流後一気に形勢逆転し、戦いに勝利したと言われます。
厳島は、広島県廿日市市(はつかいちし)にある島のことを指します。厳島の中心は、厳島(いつくしま)神社で、広島県廿日市市の宮島(みやじま)にあります。
厳島神社は、古くから島全体が神聖な場所とされ、島自体が神として崇められてきました。島内には厳島神社をはじめ、多くの神社や建造物があり、美しい自然と歴史的な価値が融合したスポットとして有名です。
特に有名なのが、海に立つ鳥居です。この鳥居は厳島神社の大鳥居であり、潮の満ち引きによって時折水中に姿を現します。この光景は日本三景の一つにも数えられています。
厳島はまた、日本三景の一つとしても知られています。江戸時代には多くの文人や歌人に愛され、多くの文学作品にも登場します。現在でも多くの観光客が訪れ、その風光明媚な景観や歴史的価値を楽しんでいます。

・にんぱく展示室の忍者道具紹介コーナー

このコーナーではにんぱくの忍者道具の紹介をしていきます。


三光手裏剣の写真です。見てわかりますが中央が円形で三方向に菱形の突起がついており、その形状が独特であることが特徴です。

手裏剣の形は、一般的には細長い四角形や六角形をしており、中央に穴が開いています。これは、手に持った際に指が通るためのもので、手裏剣を安定して投げる際に役立ちます。手裏剣の先端は尖っており、時には複数の刃が付いていることもあります。また、手裏剣には大小さまざまな種類があり、用途や使用者の好みによって異なる形状や大きさが存在します。

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2024年5月10日

現在でも通じる忍術~水で消えない炎編~

NINJA

忍者は暗闇や雨の日でも活動しなければなりませんでした。特に雨の日の夜は人目につきにくく、行動するには都合が良い環境でした。しかし、いくら修行を積んだ忍者と言えど、月の光さえない闇夜の雨の日に、何の明りもなく行動することは難しかったのでしょう。

現在に伝わる様々な忍術書には、雨でも消えない松明や、火種がない時でも炎がつく灯について記されています。

・・・略・・・明治35年発行の『最新秘法奇術』では100種類ほどの「役に立つ術」が列挙されている。最初の項目が「あらかじめ地震を知る方法」もはやこの時点でこの本の信頼度は極めて低いが・・・略・・・読んでいてばかばかしくなる・・・略・・・そんな「最新秘法」の数々を我慢して読み続けると、終盤にきて「水に入りても消えざる玉火を造る術」というものが出てくる。樟脳300グラム、硫黄11.25グラム、塩硝1.875グラム。これを練って火を灯せば、雨でも消えないという。・・・略・・・でたらめかと思ったが、文化2年(1805年)『佐久間流松明薬能書』という写本の「雨松明」と、この「造る術」がほぼ一致していることが分かった。佐久間流においいては、材料は同じだが、「造る術」より全て少量で、竹に詰めてから取り出すとなっている。

三重大学国際忍者研究センター「忍者学研究」から引用

以上の文章にあるやり方で作れば、水で消えない火がつくれるらしいです。
実際にやってみたいところですが、火を扱う以上、それなりの知識と場所がないと危ないので、今回は紹介だけにさせていただきたいと思います。

材料にあった、樟脳、硫黄、塩硝とはどのような性質を持つものなのでしょうか。

樟脳とは

By Salil Kumar Mukherjee – Own work, CC BY-SA 4.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=106488766

独特の香りがあり、防虫剤でよく知られています。半透明の結晶で、セルロイドや無煙火薬などの原料にもなります。

硫黄とは

Rob Lavinsky, iRocks.com – CC-BY-SA-3.0, CC 表示-継承 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=10429628

火山地域で産する自然硫黄や,硫化鉄鉱鉱床を形成する黄鉄鉱から得られます。固形時は淡黄色で無味無臭。黒色火薬の原料になります。

塩硝とは

w:User:Walkerma, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=184556

硝石のことで、硫黄と調合して鉄砲火薬を製造する爆薬原料とされています。

まとめ

材料の性質を考えると、煙の出ない雨でも消えない火薬がつくれる・・・のではないかと思います。
通常、火は燃え続けるためには、空気中の酸素を必要とします。しかし、火薬は(種類にもよりますが)水中で空気に触れることができなくても火薬から酸素が供給され、燃え続けることができます。

つまり松明の燃料を火薬にすれば、雨でも消えない松明がつくれる、ということでしょうか?
うーん、実際に検証してみたいですね。

材料と作り方まで分かっていて、検証できないのは消化不足ですが、今回の記事はここまでです。

皆さんがこの記事を参考に、消えない火を作るのはご自由ですが、絶対に事故が起こらないように専門家のもとで行なってください。
当記事を参考にしたことによって何らかの事故が発生した場合の責任は負いません。
火の用心!焼き肉焼いても家焼くな!(年代がばれますね)

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