2024年8月8日

臨時休業のお知らせ【9日】

落雷による設備の点検・調整のため、明日(9日)は臨時休業とさせていただきます。

ご迷惑をおかけましますが、よろしくお願いいたします。

2024年8月5日

お盆期間の開館日について

2024年8月13〜15日は営業いたします。

暑い日々が続いておりますが、皆様のご来館をお待ちしております。

2024年8月3日

【にんぱく忍者修行ブログ】忍者豆知識その26 -田中城-

この記事は忍者豆知識その26です。今日は真田氏と関係のある武田氏のお城と、お城の要素についてお届けします。
・田中城
田中城は現在の静岡県藤枝市田中にあったお城です。
天文6年(1537年)に駿河今川氏によって築かれ、
武田氏が徳川に対抗するための拠点として重要視し、武田信玄によって攻め落とされました。
信玄の死後、徳川軍によって攻められますが武田氏の配下である依田信蕃が抵抗し、武田勝頼の死後まで守り抜かれたとされます。

・お城の要素、石垣(いしがき)について
石垣は、石を積み上げて作る防御壁や構造物の技術で、日本の城や庭園、神社仏閣などで広く使われてきました。石垣は、耐久性と美観を兼ね備え、敵の侵入を防ぐための重要な防御設備として発展しました。以下は石垣作りの主な特徴、種類、そして技術についてです。
石を使用することで、土塁に比べて高い耐久性を持ちます。
丁寧に積み上げられた石垣は、美しい景観を作り出します。
石垣は敵の侵入を防ぎ、城の防御力を高めます。
野面積み(のづらづみ)は、自然の石をそのまま積み上げる方法で、石の形状を活かし、隙間を少なくするために細かい石を詰めます。
打込み接ぎ(うちこみはぎ)は、自然石を加工して隙間なく積み上げる方法です。石の表面が少し凸凹しています。
切込み接ぎ(きりこみはぎ)は、石をきちんと切り揃えて積み上げる方法で、石と石の間に隙間がほとんどなく、非常に精巧な積み方です。
布積み(ぬのづみ)は、石を横に長く積み重ねる方法で、石の横方向の継ぎ目が一直線になるようにします。
地面を掘り下げ、石垣の基礎を作ります。基礎がしっかりしていないと石垣が崩れる原因になります。
使用する石を選び、形や大きさを考慮して積み上げます。石の種類や産地も重要です。
石を積む際には、石の重心を考慮しながら積み重ねます。安定性を保つために、石と石の間に小石や砂利を詰めることもあります。
石垣の表面を整え、美しく仕上げます。特に、城の入り口や重要な場所の石垣は丁寧に仕上げられます。
石垣には花崗岩が用いられていました。花崗岩は非常に硬いので、加工には高度な技術が必要です。石を適切な大きさと形に切り出すために、専門の職人が手作業で行います。
花崗岩を積み上げる際には、石の重心を考慮し、隙間を最小限にする技術が求められます。特に打込み接ぎや切込み接ぎの技法では、石と石がしっかりと組み合わさるように積み上げられます。
大規模な石垣では、花崗岩の間に小石や砂を詰めて補強し、安定性を高めることがあります。
石垣作りは日本の伝統的な技術であり、その技術は現在でも保存・継承されています。多くの城跡や歴史的建造物で石垣を見ることができ、その美しさと技術に感嘆することができます。

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2024年7月30日

忍術〜兵糧丸編〜|にんぱくブログ|体験

NINJA

忍者の携帯食である兵糧丸(ひょろうがん)には、カロリー補給の他にもうひとつ重要な役目があります。それは漢方薬の薬理作用による気力回復です。
ひとくちに兵糧丸といっても、いくつか作り方が伝わっています。
ここでは名軍師・山本勘助『老談集(ろうだんしゅう)』のレシピを参考に見てみましょう。

主な材料は蓮肉(蓮の実の乾物)、桂心(シナモン)、人参(朝鮮人参)などの生薬、そして大量の氷砂糖と書かれています。

これら生薬には「滋養強壮」「疲労回復」「下痢止め」に加えて、「緊張緩和」「鎮静」といった精神面に効く成分が含まれています。氷砂糖には、大量に使用することによる防腐効果が期待でき、体に入れば脳を働かせる栄養となります。現在では、脳は糖をほぼ唯一のエネルギー源とするユニークな臓器として知られていますが、忍者は経験的にそれを知っていたのかもしれない。

そのほか、干し鮑や干し鮭などタンパク質を材料に使ったものや、そば粉やもち米粉などを使って腹持ちを良くした「飢渇丸」、梅干しを使って軽い喉の渇きを抑える「水渇丸」が伝わっています。おそらく忍者は、任務にかかる時間の長短や仕事の激しさを加味して、必要になる栄養配分を考え、その時々に合った携帯食を作ったのでしょう。

兵糧丸は、お腹を一杯ににするというよりは、任務中に使ったカロリーを補い、気力を充実させるための携帯食。登山家が山を登りながら栄養補給しているのが、現代の社会では近い状態です。

兵糧丸(ひょうろうがん)

兵糧丸と言っても、現代には様々な兵糧丸が伝わっています。ここでは、『老談集』をもとに久松眞氏が薬4分の1スケールで試作した分量のレシピをご紹介いたします。

材料・分量・薬効
・もち米 0.5g
 炭水化物の補給、体を動かすエネルギー源
・うるち米 0.5g
 炭水化物の補給、体を動かすエネルギー源
・蓮肉 9.5g
 蓮の実の乾物のことです。ビタミンB1が豊富、「滋養強壮」「疲労回復」「下痢止め」「緊張緩和」
・山薬 9.5g
 山芋(自然薯)のことです。粘性多糖やビタミンが豊富、「滋養強壮」「胃潰瘍」「食欲不振」
・桂心 9.5g
 シナモンの皮から取れる生薬のことです。「鎮静・鎮痛」「整腸効果」「血行促進」「発汗」「解熱」「風邪予防」
・ヨクイニン 9.5g
 はと麦の種子「抗炎症」「肌荒れ」「イボ取り」「利尿・むくみ」
・朝鮮人参 0.5g
 サポニンの薬理効果が高い、「滋養強壮」「疲労回復」「鎮痛」「整腸効果」
・氷砂糖 225g
 脳への直接的な栄養補給効果、体へのエネルギー供給

作り方
1 すべての材料を粉末にする。
2 氷砂糖以外の材料に適量の水を加え煎じる。
3 氷砂糖に適量の水を加え弱火で温めて溶かす。
4 2と3を合わせ、弱火で煮詰める。
5 丸めて乾燥して固める。

材料からわかるように、この兵糧丸は砂糖がメインです。実は江戸時代まで砂糖は超貴重な薬扱いでした。今の点滴に近いものでした。次に多い材料が漢方薬で処方される生薬です。それらの成分を分析すると6つの薬理作用「滋養強壮」「鎮痛」「救急医薬」「エネルギー補給」「疲労回復」「健康維持」があることが分かりました。体力と気力両方回復する携帯食と言えます。

水渇丸(すいかつがん)

軽い喉の渇きが気にならなくなると言われている水渇丸の作り方を、『万川集海』に基づいてご紹介いたします。

材料・分量・効能
・梅干の果肉 約37g
 クエン酸が含まれている、胃を整える
・氷砂糖 約7.5g
 この場合は、使用料が少ないので梅干の酸っぱさやしょっぱさを和らげる作用
・麦門冬 約3.77g
 ジャノヒゲの根が原料の生薬、咳止めや強壮の効果がある

作り方
1 梅干の果肉部分と種の部分を分ける
2 残りの材料を粉末にする
3 両者を混ぜて手でよくこねる
4 1cm程度に丸め、乾燥させる(天日干しにする)

梅干しの成分が唾液の分泌を促進し、麦門冬(ばくもんどう)の成分が喉の渇きや痛みを一時的に弱めます。「3粒食べれば、45日間水を飲まなくて大丈夫」という伝承がありますが、それはさすがに誇大広告でしょう。実際は、軽度の脱水症状からくる不快感を紛らわせて、その間に水場に戻るなどしたと考えられます。

ここまでは歴史的な兵糧丸について書いてきましたが、現代の兵糧丸と言えるような商品をコンビニで見つけたので、成分を比較したいと思います。

最後のひとつをそれぞれ並べて。危うく写真撮る前に完食しそうでした。

写真の通り、これからご紹介するのはその名も「忍者めし」
今回手に入れることができたのは、「忍者めし鋼 コーラ味」と「忍者めし鋼 グレープ味」「忍者めし ラムネ」の三種類です。

さっそく、忍者めしコーラから成分表を見ていきたいと思います。

原材料名
・果糖ぶどう糖液糖(国内製造)
・砂糖
・ゼラチン
・米粉
・ポリデキストロース
・濃縮果汁(デーツ、レモン)
・殺菌乳酸菌飲料
・水飴
・こんにゃく粉
・澱粉/酸味料
・香料
・着色料(カラメル)
・光沢剤
・(一部に乳成分・ゼラチンを含む)

作り方
わかりません

栄養成分表示
50gあたり
・エネルギー 159kcal
・タンパク質 5.9g
・脂質 0g
・炭水化物 36.9g
・食塩相当量 0.03g

原材料は多い順に並んでいます。
まずいちばん頭にある「果糖ぶどう糖液糖(国内製造)」とは?日本でつくられた果糖ぶどう糖液糖ということはわかりますが、えっと、ひとつの名前の中に三つも糖が入ってるのですが、いったいどういうことなのでしょうか?めっちゃ甘い?調べてみました。

「ぶどう糖」と「果糖」を主成分とする液状糖を「異性化糖」といいます。異性化糖は、以下の3つに分類されます。

 ・ぶどう糖果糖液糖…果糖含有率が50%未満のもの

 ・果糖ぶどう糖液糖…果糖含有率が50%以上90%未満のもの

 ・高果糖液糖…果糖含有率が90%以上のもの

https://pantry-lucky.net/contents/blog/katoubudoutou

ということらしいです。へー。ほとんど砂糖と同じような感じで使われるらしい。とうもろこしやさつまいもの澱粉を分解してつくられるそうです。

次にわからないのが、ポリデキストロース。ポ、ポり?調べてみました。

☆ポリデキストロースは、グルコース(ブドウ糖)、ソルビトール、クエン酸を原料とした安全な食物繊維です。
https://www.otsuka.co.jp/health-and-illness/fiber/about/type/polydextrose/

ポリデキストロースは、グルコース(ブドウ糖)、ソルビトール、クエン酸を原料とした安全な食物繊維です。

https://www.otsuka.co.jp/health-and-illness/fiber/about/type/polydextrose/

つまり合成食物繊維ってやつでしょうか。人工食物繊維? 人造食物繊維?

次に濃縮果汁のデーツ。これは私は乾燥フルーツマニアなので知っておりましたが、まだ日本ではメジャーではないかもしれません。デーツは中東なんかが主な産地の美味しいフルーツです。乾燥デーツは輸入物の読めない字のパッケージのやつがおすすめです。

そして殺菌乳酸菌飲料。乳酸菌飲料を、殺菌しちゃった!?それって・・・まあ、とりあえずこれが何なのか調べましょう。

また、死んだ菌が腸内の免疫細胞を刺激して、低下している防御力を増強させる『免疫賦活』という効果があります。「インフルエンザの感染予防に効果的」とテレビなどで紹介されたR-1乳酸菌などは、つくりだす多糖体が免疫賦活効果を発揮するため、生き死にはそれほど関係ないそうです。

https://withnews.jp/article/f0160326003qq000000000000000W00o10101qq000013137A

ということでした。
あと気になるのは光沢剤・・・

☆シェラック(白シェラック、精製シェラック)
ラックカイガラムシの分泌する樹脂状物質を精製して得られたもので、成分は樹脂酸エステルです。アルカリ性水溶液やエタノールで抽出、漂白又は精製したものが、白シェラックや精製シェラックです。エタノール溶液として菓子、糖衣食品、果実等の表面に塗布、乾燥させると、表面に光沢性、防湿性のある皮膜を形成します。光沢剤の他に、チューインガムベースとしても使用されます。

使用対象食品:キャンディー、チョコレート、果実など

☆パラフィンワックス
原油を減圧蒸留して得られる潤滑油分画を処理して得られたもので、炭素数20~40の炭化水素の混合物です。加熱すると粘性の低い液体になり、菓子、糖衣食品、果実等のコーティングに用いられます。

使用対象食品:キャンディー、チョコレート、果実など

☆ミツロウ
ミツバチの巣より加熱圧縮後、ろ過したものより得られたもので、主成分はパルミチン酸ミリシルです。粘稠性、伸展性が強く、熱エタノールや油脂に溶かし、菓子、糖衣食品、果実等のコーティングに用いると艶のある被膜を形成します。

https://www.hokeniryo.metro.tokyo.lg.jp/shokuhin/shokuten/kotakuzai.html

↑から信じたいものをお選びください。

思ったよりも長くなってしまったので、「忍者めし」のご紹介は「忍者めし鋼 コーラ味」までとしたいと思います。

「忍者めし鋼 コーラ味」が現代の兵糧丸または水渇丸と言えるかどうか、検証していきたいと思います。

まず、兵糧丸において一番大切なのは糖分の摂取です。これは「忍者めし鋼 コーラ味」もクリアしていると言えるでしょう。
気力の回復はどうでしょうか?「忍者めし鋼 コーラ味」はその風味や噛みごたえの点から、食べると美味しくてなんか良いもの食べた気分になります。何より美味しい。これは気力の回復にも期待できそうです。

結論

「忍者めし鋼 コーラ味」は、生薬の成分こそないものの、デスクワーク程度の仕事においては十分に兵糧丸としての役割を果たしていると言えるでしょう。水渇丸にはまったくなりません。むしろ水かお茶が飲みたくなります。

終わりに

このブログを運営しているにんぱくには、忍者が実際に使っていた忍具が展示されています。群馬県の北西にある東吾妻町に、にんぱくはあります。吾妻地域は真田氏が支配していたころ、忍びの者として真田家に仕えていた忍者がいました。岩櫃城と言えば歴史好きの方はピンと来るかもしれません。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。これからもにんぱくをよろしくお願いいたします!

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2024年7月29日

【にんぱく忍者修行ブログ】忍者豆知識その25 -躑躅ヶ崎館-

この記事は忍者豆知識その25です。今日は真田氏と関係のある武田氏と、お城の要素についてお届けします。


・躑躅ヶ崎館(つつじがさきやかた)
躑躅ヶ崎館は、現在の山梨県甲府市古府中にあった居館です。
武田氏はこの躑躅ヶ崎館を拠点して各地を攻めていました。
長篠の戦いや甲州征伐ののち、武田氏が滅んだ後は織田・徳川が占領し、活動拠点としていました。
遺構には、西曲輪虎口や土塁、空堀、馬出しなどがあリます。
跡地には神社があり、国の史跡として指定されています。

・堀(ほり)について
堀(ほり)は、日本の伝統的な城の防御設備の一つで、城を守るために周囲に掘られた水路や空堀のことを指します。堀は、敵の侵入を防ぎ、城を防御するために重要な役割を果たしました。以下は堀の主な種類とその特徴です。
水堀は、水を張った堀で、船や泳いでの侵入を防ぎます。
空堀は、水を張らない堀で、深い溝を掘ることで敵の侵入を阻止します。
二重堀は、二重に掘られた堀で、お城の内側と外側を隔てます。
内堀は、城の中心部分を囲む堀です。
外堀は、城の外郭部分を囲む堀です。
堀の役割として、敵の侵入を遅らせ、攻撃を困難にします。
城内の水源として利用されることもあリます。
城の景観を美しくする役割も果たしました。
堀は、単なる防御設備だけでなく、城の美観や機能性も兼ね備えた重要な要素でした。現在でも、歴史的な城跡や復元された城で堀を見ることができ、その役割や歴史を学ぶことができます。

・土塁(どるい)について
土塁(どるい)は、土を積み上げて作られた防御設備の一つで、城や砦、遺跡などの防御機能を強化するために使用されました。土塁は敵の侵入を防ぎ、守備側の防御力を高める役割を果たします。以下は土塁についての主な特徴と役割です。
土塁は土を盛り上げて作られ、時には石や木材で補強されることもあります。
高さや幅は防御の必要性に応じて様々で、通常は高くて幅の広い土塁が作られました。
土塁の外側は急な斜面になっており、登りにくくするための工夫が施されています。
材料は、主に土を使用しますが、石や木材を組み合わせて強度を増すこともあります。
役割として、敵の侵入を阻止し、攻撃を遅らせる効果があります。
守備側の兵士が土塁の上から攻撃を行うことで、戦闘を有利に進めることができます。
視界確保として、高台に作られることが多く、守備側の視界を確保し、敵の動きを監視するのに役立ちます。
場合によっては、土塁の内部に石や木材を組み込むことで、さらなる強度と耐久性を持たせることができます。
日本の城では、石垣とともに土塁が多く使用され、城の防御力を高めました。
古墳時代の遺跡にも土塁が見られ、墓の周りを囲む防御壁として使われました。
現在でも、多くの歴史的な城跡や遺跡で土塁が保存されており、その重要性と歴史的価値が認識されています。土塁は防御設備としてだけでなく、当時の技術や戦術を理解するための重要な史料となっています。

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2024年7月28日

【にんぱく忍者修行ブログ】忍者豆知識その24 -用害山城-

この記事は忍者豆知識その24です。今日は真田氏と関係のある武田氏についてとお城の要素についてお届けします。


・要害山城(ようがいさんじょう)について
山梨県甲府市古府中にあったお城です。
武田信玄が生まれた城とも言われており、
躑躅ヶ崎館(つつじがさきやかた)の守備を固めるための避難所として信玄の父信虎によって築かれたと言われています。
発掘調査によると、居館は将軍邸である花の御所(室町)と同様の方形居館でした。
甲斐武田氏の城郭の特徴の西曲輪虎口や馬出しがありました。

・方形居館について
方形居館(ほうけいきょかん)は、中世の日本における特定の城郭や館の一形式を指します。堀と土塁で囲まれた四角い館の事をいい、この形式の建物は、四角形の形状を基本として構築され、その周囲を濠(ほり)や塀で囲むことが特徴です。以下に、方形居館についての詳細を示します。
形状として、四角形を基調とした平面図を持ち、隅に櫓(やぐら)を設置することが一般的です。
防御構造として、周囲には濠や塀が設けられ、敵の侵入を防ぐ役割を果たし、櫓や門により防御力を強化します。
立地は、河川沿いや交通の要所に建設され、地形を活かして防御力を高める工夫が見られます。
方形居館は、平安時代後期から鎌倉時代にかけて普及しました。武士階級が台頭する中で、防御の重要性が増し、こうした堅固な建物が求められるようになりました。また、地方の豪族や領主たちが自らの権力を示すために建設した例も見られます。
現在では、多くの方形居館は遺跡として保存・復元されており、歴史学や考古学の重要な研究対象となっています。また、観光地としても訪れる人々にその歴史的価値を伝えています。
方形居館は、日本の中世における建築と防御の知恵が詰まった構造物であり、その研究は日本の歴史理解において重要な役割を果たしています。

・馬出しについて
馬出し(うまだし)は、日本の中世から江戸時代にかけての城郭における防御施設の一つです。馬出しの主要な目的は、城門や要所を強化し、敵の侵入を阻止することです。以下に、馬出しの詳細を示します。
構造として、城の門の外側に設置される小さな砦や囲いで、四角形や半円形の形状が一般的で、周囲には堀や塀が設けられ、内部には兵士や馬を待機させるスペースがあります。
機能として、敵の侵入を遅らせるための領域として機能し、城門への直接攻撃を防ぐための前線基地として利用されます。敵が馬出しに侵入した際、城内からの反撃が容易になるように設計されています。

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2024年7月26日

【にんぱく忍者修行ブログ】忍者豆知識その23 -大島城(伊那大島城)-

この記事は忍者豆知識その23です。今回は真田氏と関係のある武田氏が治めていたお城やお城にまつわることについてお届けします。


・大島城(伊那大島城)について
大島城は、長野県下伊那郡松川町元大島にあったお城です。
平安時代末期に築城したとされます。
武田氏が支配していたお城で、天正10年(1582年)に織田軍に攻め落とされます。
枡形の虎口(ますがたのこぐち)などの武田氏のお城に見られる遺構が残っています。

・お城の要素、枡形の虎口(ますがたのこぐち)について
枡形の虎口(ますがたのこぐち)は、日本の城郭や砦の防御構造の一つです。これは特に敵の侵入を防ぎ、防御側が有利な位置から攻撃できるように設計された入口部分です。以下にその特徴と機能について説明します。
形状として、枡形の虎口は、「枡(ます)」という箱形の構造を持ち、正方形または長方形の広場状のスペースが入口部分に設けられています。この形状により、侵入する敵が一度そこで足を止めることを強制されます。
門の配置として、一般的に二重の門が設置されており、外門と内門が直線上ではなく、角度をつけて配置されることが多いです。これにより、敵が外門を突破した後でも直線的に内門へ進むことができず、内部での防御戦が有利になります。
枡形の内部には、矢狭間(やざま)や鉄砲狭間(てっぽうざま)といった攻撃用の開口部が設けられ、上方からの攻撃が可能な位置に櫓(やぐら)や高台が設置されることがあります。


敵の足止めとして、枡形の構造により、侵入する敵がそこで一旦止まるため、防御側にとっては敵を集中して攻撃する機会を得られます。これにより、少ない兵力で効率的に防御することができます。
枡形の内部からは、複数方向からの攻撃が可能です。高い位置からの矢や鉄砲、石の投擲などで敵を効果的に撃退できます。
敵にとっては、枡形の虎口を突破することが難しいと感じさせることで、心理的なプレッシャーを与え、防御側の士気を高める効果があります。
歴史的背景として、枡形の虎口は、特に戦国時代(16世紀)から江戸時代(17世紀以降)にかけて、日本の城郭に多く見られる構造です。戦国時代の度重なる戦闘や攻城戦の経験から、防御構造が進化し、枡形の虎口が多くの城で採用されるようになりました。
このように、枡形の虎口は日本の城郭の防御技術の一つとして、重要な役割を果たしました。敵の侵入を効果的に防ぎ、防御側に有利な戦いを展開できるように設計された巧妙な構造です。

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2024年7月22日

【にんぱく忍者修行ブログ】忍者豆知識その22 -箕輪城-

この記事は忍者豆知識その22です。今回は真田氏と関係のある武田氏が攻め落としたお城と、にんぱくの展示についてお届けします。


・真田氏と関係のある武田氏が攻め落とした箕輪城(みのわじょう)
箕輪城は、群馬県高崎市箕郷町のあったお城です。
築城時期は16世紀前半に長野氏(長野業尚)によって建てられたとされます。
武田氏が攻め落とし、その後配下の真田氏である真田幸隆が城代になりました。
その後織田氏に攻め落とされ、織田氏の配下滝川一益によって治められたとされます。
本能寺の変以後は改築などされましたが、廃城になりました。
現在は土塁や空堀、石垣が残っています。

・にんぱくの展示忍者道具・四剣手裏剣(しけんしゅりけん)



十字手裏剣の形をしていますが、先端が矢印のような形状をしています。
四剣手裏剣(しけんしゅりけん)は、忍者が使用した武器の一種です。一般的には、手裏剣は手投げの武器として知られていますが、四剣手裏剣はその中でも特に代表的な形状の一つです。
四剣手裏剣は、4つの刃が放射状に広がった形状を持っています。このデザインにより、どの方向から投げても効果的に刺さるようになっています。
主に鉄や鋼で作られており、耐久性が高く、繰り返し使用することができます。
投擲武器としてだけでなく、近接戦闘でも使用されることがありました。また、時には捕縛のために敵の動きを制限するために使われることもありました。
忍者が隠密行動中に使用する武器の一つとして、敵に気づかれずに攻撃したり、注意を逸らしたりするために使われました。
四剣手裏剣は、日本の武士道や忍術の一部として深く根付いており、歴史や文化の中で特別な位置を占めています。忍者の秘密兵器としてのイメージも強く、現代でも多くのフィクション作品に登場します。
四剣手裏剣のバリエーションの中には、先端が矢印の形状になっているものも存在します。


矢印形の先端は、より鋭利で刺さりやすくなっています。これにより、投げた際の貫通力が向上し、敵に対する効果が高まります。矢印形の先端は、投擲時に空気抵抗を減少させ、飛行の安定性を増します。これにより、命中精度が向上します。
矢印形の先端は視覚的にも鋭く、敵に対する威圧感を与えることができます。これにより、心理的な効果も期待できます。
先端が鋭利な形状であるため、手裏剣としての使用だけでなく、他の道具としての利用も可能です。例えば、簡易な釘のように使用して固定したり、切断具として使用することもできます。
このように、四剣手裏剣の中でも先端が矢印になっているデザインは、その機能性と効果を高めるために工夫された形状と言えます。

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2024年7月20日

【にんぱく忍者修行ブログ】忍者豆知識その21 -上原城-

この記事は忍者豆知識その21です。今日は真田氏に関係した武田氏についてと、にんぱくの展示品についてお届けします。
・真田氏が仕えていた武田氏が攻め落としたお城・上原城(うえはらじょう)
現在の長野県茅野市にあったお城です。
築城年は不明ですが、室町時代の文正元年(1466年)頃、諏訪信満が居館を建て、諏訪地方の周辺を諏訪氏が治めていました。
諏訪氏の本城だったお城ですが、真田氏と関係のある武田氏が攻め落としたとされており、
武田氏の配下、板垣信方が治めていたとされます。その後の上田原の戦いで信方が討ち死し、
弟の虎登や長坂虎房が配置されました。


上原城は、織田・徳川連合軍による甲州征伐により武田氏は滅亡し、廃城となりました。
城跡には石碑が建てられ、土塁や空堀等が残っています。
お城跡は、長野県の指定史跡として指定されています。

・にんぱくの展示室の忍具紹介 吹き矢



吹き矢は、矢を飛ばすのに筒を使用したもので、口元に筒を当てて息を吹き空気圧で矢を飛ばすように使用します。
筒は、八角柱や円柱の筒や、竹の内側を均等に加工したものや、和紙を丸めたものもあります。
吹き矢(ふきや)は、筒(管)を通じて矢を吹き出し、標的に命中させる武器です。歴史的には日本だけでなく世界各地で使用されてきましたが、日本においては特に忍者が隠密行動や暗殺に使用したとされることで知られています。
吹き矢の筒は竹や金属で作られることが多く、長さや太さは用途によって異なります。


矢は小型で軽量なものが使われ、先端には鋭利な針や毒が塗られることがあります。
矢を筒の中に入れ、息を吹き込むことで矢を発射します。正確な射撃には練習が必要で、呼吸の制御や姿勢が重要です。訓練によって高い精度で標的を狙うことができます。
吹き矢は発射時の音がほとんどないため、隠密行動に適しています。
忍者は吹き矢を隠密行動や暗殺のために使用しました。毒を塗った矢を使うことで、静かに敵を無力化することができました。
一部の地域では、狩猟用の武器としても使用され、小動物を捕えるために使われました。
現代では、吹き矢はスポーツやレクリエーションとしても楽しまれており、専用の筒や矢を使って標的を狙う競技が行われています。
吹き矢は使用方法によっては危険を伴うため、使用する際には十分な注意が必要です。特に毒を使用する場合は、厳重な管理が求められます。
地域によっては吹き矢の使用や所持に関する規制があるため、事前に確認することが重要です。

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2024年7月20日

忍術〜水の上を走る?〜|にんぱくブログ|体験

NINJA

一説によると忍者は水の上を走ることができたと言われています。確かに、そのようなイメージを持っている方は多いのではないでしょうか。実際に水の上を走るには、人間なら秒速30mmの速度が必要となります。分速では1800m、時速では108㎞です。これはいくら超人的な忍者だとしても不可能と考えるべきでしょう。ただし、そのように言い伝えられるほど忍者は俊敏でした。

忍者は走ることに関しても修行していたため、足は相当、速かったと考えられます。高度なバランス感覚と巧みな重心移動を身につけることで、いかなる状況でもスピードを落とさずに走ることができました。

もうひとつ、忍者が水の上を走るイメージがついた理由は、事前に移動経路を徹底的に調査・研究し、街中から山の中まで近道や抜け道をすべて知り尽くしていたからだと言われています。川などでは、浅瀬や石を伝って渡れる場所を熟知していました。修行で培った足の速さと、事前の下調べの結集が、水の上を走れるほどの速さをもっていると錯覚させたのかもしれません。

山の中で近道や抜け道を調査する作業は、その、まま足場の悪い山道を移動する修行にもつながりました。

忍者の潜水能力

水のつながりで、忍者の潜水能力について書いていきたいと思います。
忍者は陸上の修行だけでなく、水中での修行もしていました。肺活量を高める訓練に力を入れ、水を満たした樽の中に首を入れて、10分あまり耐えられたといわれています(藤田西湖『忍術秘録』)。現在の潜水時間の世界記録は、11分35秒です。この記録から考えると、忍者が10分間潜水できたという説は信憑性が高いといえるでしょう。

泳ぎとしては、最小限の動きで音や水しぶきを立てずに泳げる「のし」という古式泳法を習得していました。のしで泳ぐことにより、気配を消したまま、重い刀や忍具を携えて長い距離を泳ぐことができたのでしょう。

しかし、さすがの忍者も水の中では素早く動けず、水に濡れて衣服も重くなるため、水に入るのはいざという時のみに限られていました。逆に刀や忍具の重さを利用して、泳がずに水底を歩いて移動することも多かったのです。

水底を歩く場合は、大きめの石を拾って懐に入れ、潜るのではなく、必ず体が沈むようにしていました。水底を歩く動きに特化すれば、泳ぐよりも体力を温存することができるため、息もより長く続きました。水中を移動することで敵から見つかりにくくなる効果もありました。

終わりに

このブログを運営しているにんぱくには、忍者が実際に使っていた忍具が展示されています。群馬県の北西にある東吾妻町に、にんぱくはあります。吾妻地域は真田氏が支配していたころ、忍びの者として真田家に仕えていた忍者がいました。岩櫃城と言えば歴史好きの方はピンと来るかもしれません。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。これからもにんぱくをよろしくお願いいたします!

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