2025年1月18日

【にんぱく忍者修行ブログ】忍者豆知識その57 -尻高城-

この記事は忍者豆知識その57です。この記事では真田氏と関係のあるお城についてお届けします。

・尻高城
尻高城(しったかじょう)は、群馬県吾妻郡高山村尻高に位置する山城で、別名を要害城や並木城とも呼ばれています。築城時期は明確ではありませんが、応永8年(1401年)に白井長尾氏の家臣によって築かれたと伝えられています。
城主である尻高氏は、白井城主・白井長尾重国の三男、重儀を祖とし、応永10年(1403年)に尻高に入部して以降、代々この地を治めました。
永禄年間(1558年~1570年)には、上杉謙信の関東侵攻に際し、上杉氏に臣従した沼田衆として尻高左馬助の名が記録されています。
その後、武田氏の勢力が西上野に及ぶと尻高氏もこれに従います。
天正10年(1582年)の武田氏滅亡後、真田氏がこのお城を攻略した際、真田の忍び唐沢玄蕃がこのお城に火を放つことに成功し、その後真田氏(昌幸)がこのお城を攻め落としました。
尻高城は標高約700メートルの「ゆうげい」と呼ばれる山に築かれており、現在は登山道が整備されています。城の遺構としては、曲輪、堀切、竪堀などが確認できます。主郭は山頂部に位置し、周囲には深さ約10メートルの堀が巡らされています。このような大規模な土木工事から、当時の尻高城が相当な勢力によって築かれたことが伺えます。
登城口は南麓の道路沿いにあり、入口には道標が設置されていますが、駐車スペースはありません。その南側の道路沿いには案内板が設置されています。
また、道の駅「中山盆地」(群馬県高山村)において、尻高城の御城印が書籍の特典付録として販売されています。
尻高城は歴史的な背景と自然の景観を併せ持つ場所であり、歴史愛好家やハイキングを楽しむ方々にとって魅力的なスポットとなっています。

ブログ一覧へ