2024年12月20日

【にんぱく忍者修行ブログ】忍者豆知識その56 -中山城-

この記事は忍者豆知識その56です。ここでは真田氏と関係のあるお城についてお届けします。


・中山城
中山城は、群馬県吾妻郡高山村に存在した中世の山城です。戦国時代における地域の防衛拠点、あるいは見張り台としての役割を担っていたと考えられています。

・立地
中山城は、高山村の中山地区の丘陵地に築かれました。
吾妻川流域や周辺を一望できる標高の高い場所に位置しています。
この地域は古くから上州(群馬県)と信州(長野県)を結ぶ交通の要衝であり、城の位置はその戦略的な重要性を物語っています。
真田氏の忍び、唐沢玄蕃が中山城に侵入し金の馬鎧を盗んで持ち帰るなどの活躍したエピソードがあります。

・歴史背景
・築城時期と目的

中山城は、戦国時代に地元豪族や地域の領主によって築かれたとされています。
吾妻地方では戦国時代を通じて北条氏、武田氏、上杉氏の影響が入り乱れており、中山城もこれらの大名間の戦いに巻き込まれた可能性があります。
・衰退
戦国時代末期または江戸時代初期には、その役割を終え、廃城となったと考えられています。
・城の構造
中山城は山城であり、自然地形を巧みに利用した防御の工夫が見られます。

・特徴的な構造

主郭(本丸): 山の最上部に位置する中心部。
堀切: 尾根を分断して敵の侵入を防ぐための防御溝が確認されています。
土塁: 敵の攻撃を防ぐための土製の防壁。
虎口: 城への出入り口
・残された遺構
中山城跡には堀切や土塁、郭跡などが部分的に残っているとされますが、自然による埋没や樹木の増加により、遺構はややわかりにくくなっている箇所もあるとされています。
・高山村周辺との関連性
吾妻地方の他の城跡(岩櫃城や小川城)と同様に、この地域の戦国時代の情勢や、地域防衛のための役割を考える上で重要です。
高山村自体は山あいの静かな地域で、こうした歴史的な城跡を通じて、戦国時代の村の役割を考える手がかりとなっています。
・現在の中山城跡
中山城跡は観光地として整備されているわけではなく、地元の郷土史として記録されています。
城跡にアクセスする場合は、詳細な位置を地元資料で確認するか、村の観光情報を調べる必要があります。
・アクセス
中山交差点から国道145号に西に行くと城跡があります。
徒歩や軽登山でアクセスする可能性があるため、登山靴や長袖長ズボンを着用することをおすすめします。
道の駅中山盆地が近くにあるので、そこから散策してもいいでしょう。
高山村の自然を楽しみながら、戦国時代の遺跡に触れる良い機会になるでしょう。

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