この記事は忍者豆知識その39です。この記事は真田氏と関係のある武田氏や上杉氏が攻め合ったお城についてお届けします。
・山上城(やまかみじょう)
群馬県桐生市新里町にあったお城です。
築城者は山上氏で、お城は北条氏康によって奪われ、その後上杉氏や武田氏と争うようになります。
・歴史的背景
山上城は、上野国(現在の群馬県)の地域を治めていた山上氏によって築かれました。戦国時代、関東地域では上杉謙信と武田信玄が激しく対立しており、山上城はその戦略的拠点の一つでした。
特に、上杉謙信が関東への進出を図る際、山上城はその前線基地としての役割を果たしていました。1578年、上杉謙信の死後、関東地域での勢力争いが続く中、武田勝頼の軍勢によって山上城が攻撃を受け、城は落城しました。これにより、山上城は廃城となりました。
・山上城の遺構
現在、山上城跡は「山上城址」として保存されています。城跡には土塁や空堀、郭などの遺構が残されており、戦国時代の山城の特徴をよく見ることができます。特に主郭からは、周辺の山々を一望できるため、かつての戦略的な立地を実感できる場所です。
・アクセスと見どころ
山上城跡は自然に囲まれた場所にあり、登山感覚で城跡を散策することができます。戦国時代の城郭の跡をたどりながら、美しい景色を楽しむことができます。また、地元の歴史資料館などでは、山上城に関する資料も展示されており、歴史の背景をより深く知ることができます。
山上城は、戦国時代の関東地方における勢力争いの舞台の一つであり、その防御力の高い構造と戦略的な価値を示す城跡として、現在も訪れる価値がある場所です。
・戦国大名とお城について、岐阜城(ぎふじょう)その2
・廃城とその後
信長が本能寺の変で命を落とした後、岐阜城は信長の孫・織田秀信が居城としましたが、1600年の関ヶ原の戦いの際に落城し、その後廃城となりました。現在の岐阜城は、1956年に再建されたもので、天守閣からは岐阜市全域や美濃の景観が一望できます。
・岐阜城の見どころ
天守閣: 金華山の頂上に建つ天守閣は、歴史的資料が展示されている博物館にもなっており、戦国時代の資料を見ることができます。
金華山ロープウェー: 金華山の山頂まで登るロープウェーがあり、岐阜城へのアクセスが容易です。
信長公居館跡: 岐阜城下には織田信長が暮らした居館跡があり、城下町として栄えた当時の面影が偲ばれます。
・現在の岐阜城
岐阜城跡は国の史跡に指定されており、金華山の自然と歴史的な景観を楽しむことができます。天守閣からの眺望は特に有名で、晴れた日には遠くの山々まで見渡せる絶景スポットです。