この記事は忍者豆知識その38です。今回は真田氏と関係のある武田氏が競い合ったお城についてお届けします。
・金山城(かなやまじょう)
群馬県太田市金山町にあったお城です。
上杉謙信や武田勝頼、北条氏時らとの領土争いとなりそれを退けたと言われています。
金山城は、日本の歴史的な城の一つで、特に戦国時代において重要な役割を果たしました。主な特徴は以下の通りです。
・金山城の概要
所在地: 群馬県太田市
築城年: 1469年頃(室町時代後期)
築城者: 岩松家純(岩松氏)
特徴: 山城であり、城の敷地は広大で複雑な構造を持っていました。防御性が高い城郭で、自然の地形を活かした設計となっており、敵の侵入を防ぐための堅固な石垣や土塁が特徴です。
・歴史的背景
金山城は、岩松氏が関東の戦国大名として活躍していた時期に築かれました。その後、山内上杉氏や長尾景春の乱など、戦国時代の政治的・軍事的な争いの中でしばしば舞台となりました。戦国時代には由良氏が城主となり、彼らの支配下で城の規模や構造が大幅に拡張されました。
・廃城
金山城は1590年に豊臣秀吉による小田原征伐後、廃城となり、徐々に廃墟化していきました。現在では金山城址が保存されており、観光地として整備されています。石垣の大手道が復元されています。
城跡は史跡として指定されており、石垣や土塁の一部が残っています。また、太田市内からは金山山頂にある城跡まで登ることができ、歴史的な雰囲気を感じながら散策することができます。
金山城跡は、戦国時代の山城の特徴を今に伝える重要な文化財です。
・戦国大名とお城について、岐阜城(ぎふじょう)その1
斎藤道山が治めていたお城で、信長が攻め落とし岐阜城と命名しました。
岐阜城は、岐阜県岐阜市にある歴史的な城で、戦国時代には織田信長の居城として有名です。この城は標高329メートルの金華山(旧稲葉山)の山頂に位置しており、戦略的な場所に築かれました。
岐阜城の概要
所在地: 岐阜県岐阜市金華山
旧名: 稲葉山城(いなばやまじょう)
築城者: 鎌倉時代に二階堂行政によって築かれたとされていますが、具体的な築城年は不明です。
歴史的背景: 戦国時代に斎藤道三が城主となり、稲葉山城として有名になりました。1555年に織田信長がこの城を奪取し、城名を「岐阜城」と改めました。また、信長は「天下布武」の印を使い、天下統一の拠点としてこの城を活用しました。
・織田信長と岐阜城
信長が城を掌握してから、岐阜城は戦国時代の象徴的な拠点となりました。特に信長の革新的な政治や軍事戦略の本拠地として、彼の時代に城は大きく発展しました。岐阜城は、その高い位置から美濃全域を見渡せる要害の地にあり、信長の軍事的拠点としての重要性は非常に高かったと言われています。