この記事は忍者豆知識その23です。今回は真田氏と関係のある武田氏が治めていたお城やお城にまつわることについてお届けします。
・大島城(伊那大島城)について
大島城は、長野県下伊那郡松川町元大島にあったお城です。
平安時代末期に築城したとされます。
武田氏が支配していたお城で、天正10年(1582年)に織田軍に攻め落とされます。
枡形の虎口(ますがたのこぐち)などの武田氏のお城に見られる遺構が残っています。
・お城の要素、枡形の虎口(ますがたのこぐち)について
枡形の虎口(ますがたのこぐち)は、日本の城郭や砦の防御構造の一つです。これは特に敵の侵入を防ぎ、防御側が有利な位置から攻撃できるように設計された入口部分です。以下にその特徴と機能について説明します。
形状として、枡形の虎口は、「枡(ます)」という箱形の構造を持ち、正方形または長方形の広場状のスペースが入口部分に設けられています。この形状により、侵入する敵が一度そこで足を止めることを強制されます。
門の配置として、一般的に二重の門が設置されており、外門と内門が直線上ではなく、角度をつけて配置されることが多いです。これにより、敵が外門を突破した後でも直線的に内門へ進むことができず、内部での防御戦が有利になります。
枡形の内部には、矢狭間(やざま)や鉄砲狭間(てっぽうざま)といった攻撃用の開口部が設けられ、上方からの攻撃が可能な位置に櫓(やぐら)や高台が設置されることがあります。
敵の足止めとして、枡形の構造により、侵入する敵がそこで一旦止まるため、防御側にとっては敵を集中して攻撃する機会を得られます。これにより、少ない兵力で効率的に防御することができます。
枡形の内部からは、複数方向からの攻撃が可能です。高い位置からの矢や鉄砲、石の投擲などで敵を効果的に撃退できます。
敵にとっては、枡形の虎口を突破することが難しいと感じさせることで、心理的なプレッシャーを与え、防御側の士気を高める効果があります。
歴史的背景として、枡形の虎口は、特に戦国時代(16世紀)から江戸時代(17世紀以降)にかけて、日本の城郭に多く見られる構造です。戦国時代の度重なる戦闘や攻城戦の経験から、防御構造が進化し、枡形の虎口が多くの城で採用されるようになりました。
このように、枡形の虎口は日本の城郭の防御技術の一つとして、重要な役割を果たしました。敵の侵入を効果的に防ぎ、防御側に有利な戦いを展開できるように設計された巧妙な構造です。