今日は忍者豆知識その9をお届けします。忍者が参戦した合戦についての話です。
・忍者豆知識 長篠の戦い(ながしののたたかい)
長篠の戦いは、日本の戦国時代において、1575年(天正3年)に織田信長・徳川家康連合軍と武田勝頼軍の間で行われた重要な戦いです。この戦いは現在の愛知県新城市の長篠城周辺で行われました。唐沢玄蕃(からさわげんば)をはじめ忍者も参戦したと言われています。
織田信長は織田・徳川連合軍を率い、武田勝頼は武田軍を率いていました。
武田軍は長篠城を包囲し、織田・徳川連合軍と対峙しました。
織田信長は新しい戦術を導入し、鉄砲隊を有効に活用しました。
長篠の戦いは鉄砲を大量に使用した戦闘の一つとして知られています。織田軍は三段撃ちという戦法を採用し、連続的に射撃を行うことで武田軍に大きな打撃を与えました。
織田・徳川連合軍の勝利に終わり、武田軍は大きな損失を被りました。
この勝利により、織田信長は戦国時代における彼の地位をさらに強固にしました。
長篠の戦いは、日本の戦国時代の軍事史において重要な転換点となり、特に鉄砲の戦術的な使用が戦争の形態に大きな影響を与えた戦いとして知られています。
・にんぱくの忍者道具の紹介 苦無(くない)
苦無は、日本の忍者が使用したとされる多目的な道具です。もともとは農具や土木作業用の工具として使われていたものですが、忍者の間で武器や便利なツールとして利用されるようになりました。以下に、苦無について詳しく説明します。
苦無は、鉄製の短剣のような形状をしており、両端が尖っていることが多いです。
刃が両刃のものや、片刃のものがあります。長さは10センチから30センチ程度と様々です。
苦無は、近接戦闘における短剣として使用されました。投げて使うことも可能でした。
苦無は、壁を削ったり、穴を掘ったり、扉をこじ開けるための工具としても利用されました。
壁や木に登る際の補助具としても使われ、特に両端が尖っているため、刺して固定するのに便利でした。
他にも、杭を打ったりするための道具としても活用されました。
忍者は苦無を使って、静かに敵に近づき、迅速に攻撃することができました。また、苦無を隠し持つことが容易であったため、サプライズ要素もありました。
苦無を投げる技術は、遠距離から敵を攻撃するために用いられました。これにより、忍者は直接の接触を避けつつ攻撃することができました。
忍者が登場するフィクション作品では、苦無はしばしば武器として描かれています。アニメや漫画、映画などでその姿を見ることができます。
忍者を象徴するアイテムの一つとして、コスプレや観光地での展示などでも人気があります。
苦無は、その多様な用途と実用性から、忍者にとって非常に重要なツールでした。シンプルながらも効果的なデザインは、忍者の機知と工夫を象徴するものとして、現在でも多くの人々に親しまれています。