この記事は忍者豆知識その5です。今日は真田忍者についてのお話をお届けします。
・忍者豆知識 唐沢玄蕃(からさわげんば)
唐沢玄蕃は、上野国吾妻郡中之条沢渡出身の忍者で、父・杢之助(もくのすけ)と子・於猿(おさる)の二人で同じ名前を名乗っていたとされます。
武田氏に仕えた後に、真田氏に仕えました。杢之助の方は上野国嵩山城合戦(たけやまじょうかっせん)で死に、於猿が同じ名前を名乗りました。
唐沢玄蕃は中山城や尻高城(しったかじょう)など城を攻略し、真田軍の数々の合戦に参加したと言われています。
唐沢玄蕃の特技は、卓越した大きな跳躍力と火薬を使用した忍術でした。
例えば、尻高城攻略の際には、特技の火薬を使用した術を使い城を火の海にするなどの火計を行ったと言われています。
嵩山城は群馬県中之条町五反田字嵩山にあったお城です。戦国時代に国衆・吾妻斎藤氏の居城として利用されました。
武田氏と斎藤氏は当初は斎藤氏が武田氏に従属していましたが、お互いの所領問題が起きたことで武田氏から離反する形になりました。
武田氏・真田氏と斎藤氏が対立し、斎藤氏は抵抗しましたが、真田幸綱によって城を攻め落とされました。
その後、嵩山城は江戸時代には山伏の修行場となりました。
尻高城は、群馬県吾妻郡高山村尻高にあったお城です。白井城主の長尾重国が築いたお城で、武田氏の家臣であった真田幸綱(真田幸隆)が尻高氏と対立し、武田氏によってお城を攻め落とされたと言われています。
沢渡は、中之条町にある地名で、中之条町は、群馬県吾妻郡に位置する町で、沢渡温泉(さわたりおんせん)がその一部にあります。この地域は、自然豊かで、温泉地としても知られています。
・忍者豆知識 霧隠才蔵(きりがくれさいぞう)
真田十勇士の一人として真田忍者です。伝承上の架空の人物ですが、モデルとなった人物として霧隠鹿右衛門がいます。
「真田十勇士」という表現をはじめて用いたのは、明治・大正時代に刊行された立川文庫であるとされます。
真田十勇士(さなだじゅうゆうし)は、江戸時代の講談や小説などに登場する架空の忍者集団で、真田幸村(真田信繁)に仕えたとされています。彼らは日本の戦国時代を舞台にした物語で人気を博しました。
真田十勇士は、実在の人物ではなく、フィクションの世界で創造されたキャラクターたちです。しかし、彼らの物語は、真田幸村の伝説を彩り、多くの人々に愛されています。彼らの活躍は、小説やドラマ、映画などさまざまなメディアで描かれています。
・にんぱくの忍者道具の紹介
卍手裏剣
卍型の形をした手裏剣。